牧師のページ

個人主義のためではなく個人の信仰を確立する為に!

◆パウロの言葉の中から「わたしたちのために」という言葉を拾い出しました。

[13]キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。(ガラテヤ3章)
[14]このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。(テトス2章)

[23]…「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、
[24]わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。(ローマ4章)
[08]しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。(ローマ5章)

[26]御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。(ローマ8章)

[34]だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。(ローマ12章)

◆この「わたしたちのために」という言葉は、私たちの信仰を個人的な領域に閉じこめる為のものではなく、各自が自立した信仰を確立する為の言葉です。

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