牧師のページ

“信仰”は“行動”を生み、“行動”は“信仰”が支えます

★今年最後のコラムは、祈りに関する主イエスの教えです。★最初は譬えの部分です。(5)そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。(6)友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、(7)彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。(8)しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。★次ぎに適用部分です。(9)そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(10)すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。★以上を前提して、祈りの結果与えられるものは?(11)あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。(12)卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。(13)このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。★最後に、私達の側の応答がきます。私達は、主イエスのこの言葉を聞いてどう「行動」しますか?

言葉は肉体となった

★ヨハネによる福音書1章14節にこうあります。「言(ことば)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。」言葉が肉体となるという発想は異邦人(日本人)からすれば荒唐無稽に映ることはやむを得ないことです。しかし、創世記を与えられたユダヤ人からすれば、それほど驚くべきことではないと思えます。★創世記1章3節にはこうあります。「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。」このように、創造の御業とは、主なる神様の語られた“言葉”どおりに“事柄”が現れたことを伝えています。ユダヤ人からすれば、創造主にあっては、言葉は事柄と同じであります。★この視点を延長すれば、主なる神様のご計画は広い意味での“言葉”です。ですから救いのご計画が“出来事”として現れてくることは、了解できるはずです。預言者イザヤを通してもこう語られています。「天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。」★ヨハネは同18節でこう記しました。「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。」この言葉が語る通りです。「ひとり子なる神(イエス)」の存在全体が「神をあらわす言葉」そのものなのです。逆に言えば、「神をあらわす言葉」が、歴史の中で出来事となりました。クリスマス、即ち、主イエスの誕生は、その出来事のはじまりです。後は主イエスの語られた言葉が完全に成就する時を信仰を持って待つのです。

キリスト者を神の国へと持ち運ぶ土台

★ペンテコステの起きた直後、使徒ペテロは説教いたします。その一部を抜粋します。[36]だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。[37]人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。[38]すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。★ここに記されていますように、使徒ペテロの言葉は、聴衆の心を刺しました。この時起きていることは、神のことばが勝利しているということです。神のことばに刺された心は「わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と問うことになります。この問いに対して答えが与えられます。「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう」。この答えの要点は「悔い改め」と「罪のゆるしを得る、イエス・キリストの名によるバプテスマ」と「賜物として聖霊を受けること」との3つです。★この3つがキリスト者として歩み出す時の三要素です。もし、信仰に何らかの迷いが生じた時には、自分自身に対して、この3つの土台を再伝達しましょう。私は、悔い改めている。私は、罪のゆるしを得るイエス・キリストの名による洗礼を受けている。私は、賜物として聖霊を受けている。キリスト者は、たとえ信仰が揺らいでいても、この土台の故に、支えられ、神の国へと持ち運ばれているのです。

憲法の改正は性質が異なります

★イスラエルの民が外敵の侵略を恐れて、近隣の国々のように、目に見える王を立てて欲しいとサムエルに求めた時、主なる神様は、王のならわしを、次のように民に伝えました。★「彼はあなたがたのむすこを取って、戦車隊に入れ、騎兵とし、自分の戦車の前に走らせるであろう。/彼はまたそれを千人の長、五十人の長に任じ、またその地を耕させ、その作物を刈らせ、またその武器と戦車の装備を造らせるであろう。/また、あなたがたの娘を取って、香をつくる者とし、料理をする者とし、パンを焼く者とするであろう。/また、あなたがたの畑とぶどう畑とオリブ畑の最も良い物を取って、その家来に与え、/あなたがたの穀物と、ぶどう畑の、十分の一を取って、その役人と家来に与え、/また、あなたがたの男女の奴隷および、あなたがたの最も良い牛とろばを取って、自分のために働かせ、/また、あなたがたの羊の十分の一を取り、あなたがたは、その奴隷となるであろう。/そしてその日あなたがたは自分のために選んだ王のゆえに呼ばわるであろう。しかし主はその日にあなたがたに答えられないであろう」。★日本の国を支える土台である憲法の性質を変えようとする勢力が、もし、政治の実権を握った場合、何が起るのかと想定した時、真っ先に思い浮かんだのはこの聖書個所でした。原発、経済・財政、外交、社会保障、どれも重要です。しかし、惑わされないでください。憲法改正はそれら全体とは全く性質が異なるのです。国の仕組み自体にかかわることなのです。「その日あなたがたは自分のために選んだ仕組みのゆえに呼ばわるであろう。」ということが起きてからでは遅いのです。
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