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贖罪の小羊?いえいえ、過ぎ越しの小羊!

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★今朝は、ヨハネによる福音書に記された、洗礼者ヨハネの証言を取り上げます。★ユダヤ人たちは、エルサレムから祭司たちやレビ人たちを洗礼者ヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせました。☆洗礼者ヨハネは「わたしはキリスト(=メシヤ/救い主)ではない」と告白し、その上で「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」と答えました。☆その後、洗礼者ヨハネは主イエスが自分の方にこられるのを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言ったのです。加えて、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。」とも言いました。★さて、この洗礼者ヨハネ証言の中で一番重要な言葉を拾いますと、それは、彼が主イェスについて「世の罪を取り除く神の小羊」と語ったことです。★通常この「小羊」という言葉により即座に思い起こすのは、祭儀律法の中で定められている、罪の赦しを得るために、燔祭として献げられる小羊です。しかし、福音書全体を読みますと、洗礼者ヨハネが語るこの「小羊」は「過ぎ越しの祭」を行う際に用いられた「過ぎ越しの小羊」ではないかという理解に到達します。★「過ぎ越しの小羊」は、主なる神様がエジブトの国で奴隷状態にあった神の民イスラエルを贖い出すという救いの業の中心に位置する犠牲です。★洗礼者ヨハネは、サタンの誘惑に従ってしまい、全く罪の奴隷状態にある私たち人間をその奴隷状態から贖い出すために屠られる小羊が主イェスであると証言したのです。

聖霊が結ばせてくださる実

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★今朝は、出エジプトを果した第一世代の子供たちが、約束の地カナンに入国する前に、指導者モーセから聞いた言葉を読みます。
(05)わたしはわたしの神、主が命じられたとおりに、定めと、おきてとを、あなたがたに教える。あなたがたがはいって、自分のものとする地において、そのように行うためである。(06)あなたがたは、これを守って行わなければならない。これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、また知識を示す事である。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』と言うであろう。
★イスラエルの民が、旧約聖書に記された「十戒」に代表される律法に従って生きる時、イスラエルの民を見る「異邦のもろもろの民」は「この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である」と判断するのだ、と言うのです。私たちキリスト者は、この言葉を誇張だと考えますでしょうか?そうではないと思います。この言葉は真実なのです。問題は、イスラエルの民が教えられた「さだめとおきて」を生きる事が出来ない、ということです。★この点では、私たちキリスト者も同じです。主イェスは「黄金律」と呼ばれる大変美しい命令を弟子たちに与えられました。「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」自力でこの命令を生きることはできないのです。しかし、赦された罪人と自覚して聖霊を受取り、聖霊に信頼して生きつつ、この黄金律を目指すなら、そこに、聖霊の実が実ると信じます。
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