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契約神学という枠組みを建て上げる

★(1)わが子よ、わたしの教を忘れず、わたしの戒めを心にとめよ。(2)そうすれば、これはあなたの日を長くし、命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。(3)いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。(4)そうすれば、あなたは神と人との前に、恵みと誉とを得る。箴言3章に入りました。読んでの通り、ソロモン王による帝王学として、心に止めるべき「戒め」とは「いつくしみと、まこととを捨ててはならない」であります。★聖書において、この「いつくしみ(恵み:新改訳)と、まこと」という言葉が組み合わされて登場するのは、契約関係にあるイスラエルの民に対する、主なる神様の側の態度であることが知られています。(創24:26,詩篇89等)つまり、主なる神様は、契約を結んだ相手(イスラエルの民)に対して、その契約に基づき、「いつくしみ(恵み)と、まこと」を貫いてくださるということです。ですから、「いつくしみ(恵み)と、まこととを捨ててはならない」とは、主なる神様との間に結んだ契約を捨ててはならない、という意味になります。★この契約関係は、啓示の順序で言えば、創世記が最初になります。創造主なる神がいらっしゃる。人間は被造物である。創造主なる神と被造物なる人間とは契約関係にある、となります。しかし、この契約的視点のない日本人にとって、ソロモンの箴言は「豚に真珠」かもしれません。★だとすればなおさら、契約神学という枠組みを学んだ私としては、福音理解のためのこの枠組みを、コツコツと粘り強く建て上げてゆく以外にありません。

主から委託された自分の人生を管理する立場から箴言を聴く

★箴言3章には「慎みと悟り」をペアで用いて、こう語られています。(11)慎みはあなたを守り、悟りはあなたを保って、(12)悪の道からあなたを救い、偽りをいう者から救う。(13)彼らは正しい道を離れて、暗い道に歩み、(14)悪を行うことを楽しみ、悪人の偽りを喜び、(15)その道は曲り、その行いは、よこしまである。(16)慎みと悟りはまたあなたを遊女から救い、言葉の巧みな、みだらな女から救う。(17)彼女は若い時の友を捨て、その神に契約したことを忘れている。(18)その家は死に下り、その道は陰府におもむく。(19)すべて彼女のもとへ行く者は、帰らない、また命の道にいたらない。★今朝は、箴言で言う「慎み」を「慎重」のことだと理解します。そうしますと、反対の意味を持つ言葉は「軽率」です。また箴言は、ソロモン王による王子への帝王学という枠組みが第一義です。以上から、この箴言は、「悟りがなく軽率な王」がどういう行動をとってしまうかを教えていると聴き取ることができます。★ここでは二つのことが教えられています。第一に、悟りがなく軽率な王は偽りをいう者の道に入り込む、ということです。第二に、悟りがなく軽率な王は遊女やみだらな女の道に入り込む、ということです。★意味する所を客観化すれば、第一に、正義と公正の基準を守るべき王には「偽り」が誘惑となるのです。第二に、イスラエルの歴史を見るまでもないかも知れませんが、「男」である王の歩みを狂わすのは対極の性である「女」であるということです。★この二つの言葉は、「私」は、主なる神様から「自分」という人生の管理を委託されているのだという視点を自覚する時、「私」にもそのまま適用できると思います。

主なる神様が私達の道筋を守ってくださる目的

★今朝の箴言の言葉はこれです。(07)彼は(=主は)正しい人のために、確かな知恵をたくわえ、誠実に歩む者の盾となって、(08)公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。(09)そのとき、あなたは、ついに正義と公正、公平とすべての良い道を悟る。★箴言の翻訳は難しいとは思いますが、7節に記された「誠実に歩む者」とは「正しい人」の言い換えと考えます。その上で、7節と8節を読みますと、次のように聴き取ることができます。「主なる神様は、誠実に歩む者の盾となってくださり、公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。」★このように聴き取りつつ、この言葉をしばし思い巡らしますと、次のように聞こえてきます。「主なる神様は、誠実に歩む者のために盾となって、彼の道筋を守ってくださるのですが、その目的は、誠実に歩む者のために、“公正”の道を保つことなのです。」もう少し分かりやすく言い換えます。誠実に歩む者が、「公正」の道とはどのような道なのか体験できるようにと、主なる神様は、彼の道筋を守ってくださるのです。ですから、9節にありますように、「あなたは、ついに正義と公正、公平とすべての良い道を悟る。」となるのです。★このように、主なる神様は、私達が「正義を生きること」,「公正に生きること」,「公平に生きること」を願っていらっしゃるのです。ですから、この箴言にある通り、私達が、その生き方を味わい知りたいと願うなら、主なる神様は、私達のために、盾となってくださり、私達の道筋を守ってくださるのです。なんと感謝なことでしょうか!「正義を生きること」,「公正に生きること」,「公平に生きること」を願いましょう。
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