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主から委託された自分の人生を管理する立場から箴言を聴く

★箴言3章には「慎みと悟り」をペアで用いて、こう語られています。(11)慎みはあなたを守り、悟りはあなたを保って、(12)悪の道からあなたを救い、偽りをいう者から救う。(13)彼らは正しい道を離れて、暗い道に歩み、(14)悪を行うことを楽しみ、悪人の偽りを喜び、(15)その道は曲り、その行いは、よこしまである。(16)慎みと悟りはまたあなたを遊女から救い、言葉の巧みな、みだらな女から救う。(17)彼女は若い時の友を捨て、その神に契約したことを忘れている。(18)その家は死に下り、その道は陰府におもむく。(19)すべて彼女のもとへ行く者は、帰らない、また命の道にいたらない。★今朝は、箴言で言う「慎み」を「慎重」のことだと理解します。そうしますと、反対の意味を持つ言葉は「軽率」です。また箴言は、ソロモン王による王子への帝王学という枠組みが第一義です。以上から、この箴言は、「悟りがなく軽率な王」がどういう行動をとってしまうかを教えていると聴き取ることができます。★ここでは二つのことが教えられています。第一に、悟りがなく軽率な王は偽りをいう者の道に入り込む、ということです。第二に、悟りがなく軽率な王は遊女やみだらな女の道に入り込む、ということです。★意味する所を客観化すれば、第一に、正義と公正の基準を守るべき王には「偽り」が誘惑となるのです。第二に、イスラエルの歴史を見るまでもないかも知れませんが、「男」である王の歩みを狂わすのは対極の性である「女」であるということです。★この二つの言葉は、「私」は、主なる神様から「自分」という人生の管理を委託されているのだという視点を自覚する時、「私」にもそのまま適用できると思います。
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