March 2020
人間が「神のかたち」に創造されていることから
29/03/20 00:00

今・この時「心に律法の要求が記されている」という聖書の啓示に基づくなら…
22/03/20 00:00

[03]さて町の門の入口に四人の重い皮膚病の人がいたが、彼らは互に言った、「われわれはどうしてここに座して死を待たねばならないのか。[04]われわれがもし町にはいろうといえば、町には食物が尽きているから、われわれはそこで死ぬであろう。しかしここに座していても死ぬのだ。いっその事、われわれはスリヤびとの陣営へ逃げて行こう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるならば、助かるが、たといわれわれを殺しても死ぬばかりだ」。[05]そこで彼らはスリヤびとの陣営へ行こうと、たそがれに立ちあがったが、スリヤびとの陣営のほとりに行って見ると、そこにはだれもいなかった。[06]これは主がスリヤびとの軍勢に戦車の音、馬の音、大軍の音を聞かせられたので、彼らは互に「見よ、イスラエルの王がわれわれを攻めるために、ヘテびとの王たちおよびエジプトの王たちを雇ってきて、われわれを襲うのだ」と言って、[07]たそがれに立って逃げ、その天幕と、馬と、ろばを捨て、陣営をそのままにしておいて、命を全うしようと逃げたからである。[08]そこで重い皮膚病の人たちは陣営のほとりに行き、一つの天幕にはいって食い飲みし、そこから金銀、衣服を持ち出してそれを隠し、また来て、他の天幕に入り、そこからも持ち出してそれを隠した。[09]そして彼らは互に言った、「われわれのしている事はよくない。きょうは良いおとずれのある日であるのに、黙っていて、夜明けまで待つならば、われわれは罰をこうむるであろう。さあ、われわれは行って王の家族に告げよう」。
★8節に記された彼らの反応は言わば当然です。それでは9節の内容はどうでしょう?この転換が起こせるようにと、私たちは「神のかたち」に創造されています。
私は「根拠を問わない姿勢」は危険だと考えます。
08/03/20 00:00

創造主と人間とは契約関係で結びついている
01/03/20 09:18

(12)このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
★パウロもまた「創造主と人間とは契約関係で結びついている」との理解を持っていましたから、パウロがその「契約的視点」でこの12節を語っていると解釈します。そうしますと、このパウロの言葉は次のように読み取ることになります。「このようなわけで、ひとりの人(アダム)によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が(アダムにおいて)罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。」★このように聞き取る根拠は、創世記第2章16,17節の内容─(16)主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。(17)しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」─を「創造主と人類の代表であったアダム」との間で結ばれた「アダム契約」と解釈するからです。★パウロはこの「最初のアダム」を「きたるべき者の型」と呼び、主イェスが「最後のアダム」なのだと語ります。「最後のアダム」が成し遂げたことが「全人類の代表」としての「業」であったことを信じる時、「最初のアダム」がもたらした「死」からの解放と「永遠の命」が与えられます。