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キリスト教信仰が生まれる場所は主イェスの自己啓示

★主イェスが行われた「中風の者」の癒しの出来事を、その内容を一番簡潔に示しているマタイによる福音書に、主イェスが語られた次の言葉が記されています。
[01]さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。
[02]すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。
[03]すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。
[04]イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。
[05]あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
[06]しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
[07]すると彼は起きあがり、家に帰って行った。
[08]群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。
主イェスはこの場面で間接的に、ご自分が何者であるかを現しておられます(自己啓示)。この主イェスの自己啓示からわかる事は、次の事です。★「中風の者」に対して「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と語られた主イェスの言葉が、その言葉の通りの結果を生み出したのと全く同じだけの確実さを持って、「人の子は(=主イェスは)地上で罪をゆるす権威をもっている」ことが真実であると言うことです。★この主イェスの自己啓示をどう判断するかが、信仰の最前線であり、その判断は私たちに委ねられています。

「何故、そうするのか」事実に基づいて説明してください!そうでなければ…。

★「新しい生活様式」が推奨されることになりました。これに関して、内なる思いを語らせていただきます。★まずは、感染防止の3つの基本です。(1)身体的距離の確保、(2)マスクの着用、(3)手洗い。私たちは、この3つによって、何を防いでいるのかを明確に説明できますか?★試しに、感染しないための手段という視点から推察してみました。(1)は、近距離に存在する相手が感染者であるかもしれないので、接触しないということです。(2)新コロナウイルスは空気感染しません。恐らく、近距離に存在する感染者がしゃべる際に口から飛ぶ飛沫がマスクによりガードされ、直接吸い込まないためでしょうか。マスクの再使用は避けるようにと言われますが、マスクの外側についた飛沫を危険視してでしょうか?服にも飛沫は確実に付着します。厳密に考えれば、1回外出したら着替える必要となります。(3)は、恐らく、ウイルスの付着した場所を手がさわった可能性を想定しています。★次に、最近特に気になったのは「医療事業者に対する差別扱い」です。感染者を特定し、感染者を治療することによって、自分自身の感染リスクが下がることに結びつくにもかかわらず、なぜ、医療事業者の方々に心ない対応をするのでしょうか?★以上から私が言いたいことは、次のことです。責任ある立場の人たちが、必要な情報(事実)を提供していないために、わたしたちの側が、零から推測せざるを得ないし、同時に、疑心暗鬼にもなるのです。わたしたちが使うべき思考力や想像力が浪費されているように思えて仕方がありません。
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