創造主なる神は、ご自身が人と結ばれた契約に対して誠実(ヘセド)であられる
◆ザカリヤは、祭司の務をしていたとき、主の聖所にはいって香をたくことになりました。ザカリヤが香をたいていると主の御使が現れて、香壇の右に立ったのです。ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われました。御使が彼に言いました、「◆恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。◆その男の子はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。◆その男の子は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。◆その男の子はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。◆これを聞いたザカリヤは御使に言ったのです。「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。◆御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。
★創世記第3章15節に約束された「女の子孫」の登場は、創造主なる神の救いの計画の核心です。その人物の登場は必ず起こるわけです。それだけでなく、その人物の登場に係る出来事も全て必ず起こるわけです。ザカリヤの出来事の焦点は、ザカリヤの信仰うんぬんよりも、創造主なる神の語られた言葉が成就する確実さにあります。
会堂司ヤイロと共に、主イェスについて理解する
[22]そこへ、会堂司のひとりであるヤイロという者がきて、イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、
[23]しきりに願って言った、「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」。
◆会堂司ヤイロは、主イェスが娘に「手をおく」ことが「癒し」をもたらすと考えていたように読めます。しかし、この「主イェスに手をおいてもらう」という事は、長血を患ったていた女の人の登場によって、見事に阻まれてしまいます。その結果が35節です。
[35]イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。
◆ヤイロの家に着いた主イェスは「泣き騒いでいる」家の中で、淡々と事を進められました。「子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれ」、「少女よ、さあ、起きなさい」と命令の言葉を発したのです。主イェスの言葉は、即、現実となりました。「少女はすぐに起き上がって、歩き出した」のです。◆ヤイロは主イェスという御方について何を理解したでしょうか
「救い」と「聖化」の順序を確認する
神の言葉は必ず成就する
(08)わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると、主は言われる。 (09)天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
★この言葉に、パウロが語ったローマ11章33節を並べます。
(33)ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。 (34)「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。 (35)また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。
★「わが思い」と「神の知恵と知識」を対応させ「わが道」と「そのさばき・その道」を対応させれば「異なる・高い」は「窮めがたい・測りがたい」に対応します。★次に「窮めがたい・測りがたい」なら、信仰者は不安になるのかと言えば、全く逆です。心から安心することが出来るのです。それが、10節と11節です。
(10)天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。 (11)このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。
★このことをパウロの言葉で言えば、ローマ11章36節です。
[36]万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。
★「神の言葉は必ず成就する」これが、創造主なる神の啓示の核心です。