牧師のページ

恵みに伴う聖なる畏れ

★今朝の御言葉は、まずヘブル4:12,13節の御言葉です。(12)神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。(13)そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。★この御言葉は、婦人祈祷会での御言葉、詩篇11篇4,5節からの連想です。(04)主はその聖なる宮にいまし、主のみくらは天にあり、その目は人の子らをみそなわし、そのまぶたは人の子らを調べられる。(05)主は正しき者をも、悪しき者をも調べ、そのみ心は乱暴を好む者を憎まれる。★キリスト者は、御言葉に語られている通り、「必ず来る審判の日」を思い、主なる神様の御前に悔い改め、主なる神様と和解し、聖なる畏れを持ちつつ「慎み祈る日々を送る者」とされています。★先週の婦人祈祷会は、この自覚が薄い自分自身を自覚させられ、他でもない、これらの御言葉が、今の自分に向けられた主なる神様からの語りかけであると示されました。★「すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。」、「主はその聖なる宮にいまし、主のみくらは天にあり、その目は人の子らをみそなわし、そのまぶたは人の子らを調べられる。」恵みにより救われたキリスト者にとっては、脅しの言葉では無く、聖なる畏れを正しく持つ事が促されているのです。

まことの信仰

★今朝は、ハイデルベルク信仰問答の中から聴き取ります。
問21:まことの信仰とは何ですか。
答:それは、神がみことばによって、われわれに、あらわして下さったことを、みな真(まこと)とする堅固な認識だけではなく、聖霊が、福音によって、わたしのうちに起こしてくれる、心からなる信頼のことであります。これによって、他の人々に対してだけでなく、わたしのためにも、罪のゆるし、永遠の義、祝福が、ただ、恩恵により、キリストの御業の故にのみ、神から、与えられるようになるのです。
★この問21は、キリスト教信仰の定義を定める問いと考えることが出来ます。そのように考えますと、答からすぐに気づきますように、まことの信仰とは一方では「みな真(まこと)とする堅固な認識」と定義され、どちらかと言えば、信仰者の側の働きに力点があります。しかし同時に、「聖霊が、わたしのうちに起こしてくれる、心からなる信頼」とも定義され、こちらは、聖霊なる神様の側の主権的(恩恵的)働きに力点があります。★このように、信仰の定義の場合、その定義内容それ自体の中に、双方に衝突し合う内容を含みます。しかし、このような衝突を表現しつつも、記述されていない前提は、「恩恵により」という言葉で表されています。これは、創造主と被造物である人間という秩序を指し示します。言葉を変えれば、信仰者の側が、三位一体なる創造主の主権性を尊重し信頼するということです。「罪」の本質は、この秩序を破壊することです。

「数」を頼む姿勢に潜む危険

★普遍的な意味での真理基準を持たない集団は、最終的に、多数決の論理で物事を決めることに帰結します。ですから、「数」を増やすことが、勝利の秘訣となります。そして「数」で勝利を得たならば、余程の英知が存在しない限り、その「数」にものを言わせ、自分たち多数派にとって有利な基準作りをすることになります。このようにして決められた基準は、相対的な真理基準ですから、その真理基準を支える「数」が減少してしまえば、その真理基準もゆらいでしまうことになります。★キリスト者は、聖書(主なる神様)の提示する基準を普遍的な基準と理解しています。つまり、その真理基準は「数」に支えられてはいません。ですから、その真理基準を支える「数」が少なくても、その真理基準がゆらいでしまうことはありません。★この意味で言いますと、キリスト者にとって「不義」であることが、この世の「多数」にとっては「不義」ではなく、むしろ「義」であるとされるような事が起きます。あるいは、キリスト者にとって「聖くなければならない」事柄が、この世の「多数」にとっては「聖さには無関係」であるとされる場合もあります。★そのような現実に直面する中で、キリスト者は意外な御言葉に出会います。[10]またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。[11]不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。(黙示録22章)★ここに登場する「行うままにさせよ」という言葉は大変厳しい言葉です。主なる神様が、あたかも「蒔いた種の結果を刈り取るまでは手を出すな」と語っておられるようです。だとすれば、「数」を頼む姿勢に潜む危険(傲慢)に「気づく」ことは早ければ早いほど良いのです。
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