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「数」を頼む姿勢に潜む危険

★普遍的な意味での真理基準を持たない集団は、最終的に、多数決の論理で物事を決めることに帰結します。ですから、「数」を増やすことが、勝利の秘訣となります。そして「数」で勝利を得たならば、余程の英知が存在しない限り、その「数」にものを言わせ、自分たち多数派にとって有利な基準作りをすることになります。このようにして決められた基準は、相対的な真理基準ですから、その真理基準を支える「数」が減少してしまえば、その真理基準もゆらいでしまうことになります。★キリスト者は、聖書(主なる神様)の提示する基準を普遍的な基準と理解しています。つまり、その真理基準は「数」に支えられてはいません。ですから、その真理基準を支える「数」が少なくても、その真理基準がゆらいでしまうことはありません。★この意味で言いますと、キリスト者にとって「不義」であることが、この世の「多数」にとっては「不義」ではなく、むしろ「義」であるとされるような事が起きます。あるいは、キリスト者にとって「聖くなければならない」事柄が、この世の「多数」にとっては「聖さには無関係」であるとされる場合もあります。★そのような現実に直面する中で、キリスト者は意外な御言葉に出会います。[10]またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。[11]不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。(黙示録22章)★ここに登場する「行うままにさせよ」という言葉は大変厳しい言葉です。主なる神様が、あたかも「蒔いた種の結果を刈り取るまでは手を出すな」と語っておられるようです。だとすれば、「数」を頼む姿勢に潜む危険(傲慢)に「気づく」ことは早ければ早いほど良いのです。
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