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「宗教改革記念日」に聞く主イェスの言葉

★10月31日はプロテスタント教会では「宗教改革記念日」となっています。そしてこの日にはマタイによる福音書第5章3節12節を読む伝統があるとのことです。

(03)「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
(04)悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
(05)柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
(06)義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
(07)あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
(08)心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
(09)平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
(10)義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
(11)わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
(12)喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

★私は、ここに語られる「天国」は「神の国」のことであると解釈しています。★宗教改革者達の改革の力点かどうかは別として、私たちキリスト者は、既に地上にある時から、ここに語られる存在─「神の国」の住人に相応しい存在─に至るべく、聖霊のお働きによって、日々変革されることが始まっているのです。

キリスト者が持てる真実の安息とその根拠

★今日は、キリスト者に及んでいる神の国支配について、再度確認致します。マルコによる福音書によれば、主イェスのバプテスマの際に「天からの声」がありました。
(09)そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。(10)そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。(11)すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。★この声の内容である「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」の前半部は、詩篇第2篇7節の言葉です。また、この詩篇第2篇は、イスラエルの王が王として即位する時に読まれたことが分かっていますし、王は、油を注がれて王に任職されたことも分かっています。★以上の三点から、主イェスがバプテスマを受けた際に、主イエスの上に「聖霊が下った」ことと、天から「あなたはわたしの愛する子」という声が掛けられたことは、第一義的には、主なる神様による啓示行為として、主イェスがイスラエルの「王として任職されたのだ」と解釈できます。★しかし、共観福音書を最後まで読めば、この時既に、主イェスは「神の国の王として任職された」ことがわかります。★この意味で言えば、神の国としての主イェスの支配は、神の国の到来を待つまでもなく、この時から既に始まっているわけです。ですから、主イェスを王とするキリスト者に対しては既に、神の国の支配が及んでいる事になります。★キリスト者は、信仰によって、既に始まっている神の国支配を信じ、安息するのです。
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