牧師のページ

キリスト者が聖化を考える時にまず覚えること

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★今日は、ローマ人への手紙第12章1節の言葉を聞き取ります。
[01]兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
★読んで分かりますように、この言葉は聖化を促す勧告の言葉です。勧告の内容は「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。」です。この言葉にある「あなたがたのからだ」とは、私たちの「からだ」のことですから、聖化とは、詰まる所「わたしたちキリスト者が、からだを用いて行う倫理的な行為」として意図されていることは明らかです。★そのことを確認した上で続けますと、パウロは、この勧告の言葉を「そういうわけで」という言葉から始めています。この「そういうわけで」の意味することは、パウロが、1章から11章までを用いて語ってきた、キリスト教の教え(教義)の内容のことです。このことから分かりますように、キリスト者の生き方(倫理的行為)は、キリスト教の教え(教義)を信じた者に対して求められている、ということです。★キリスト者が、聖化の歩みとして「私はいかにいきる『べき』なのか」と問う時、ここで用いられている「べき」は、教えを信じた者に求められている「義務のべき」ではなく、教えを信じた者から出てくる「必然のべき」であるということを、赦された罪人として確認し続けたいと思います。

「日本人と天国」vs「ユダヤ人と神の国」

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★日本という国では「死がタブー視されている」という言葉を聞いたことがあります。ですから、日本社会では、できるだけ子供たちを「死」から遠ざけるような仕組みができ上がっているとも言われています。この言葉の真偽は脇に置いて、私の個人的な一つの感触を語らせていただくなら、日本という国では、いとも簡単に(一般的な理解での)天国に行けてしまうという現実があります。視点を変えて言えば、その結果、日常の中で「死」が遠ざけられていると感じます。★そのような私たち日本人に対して、次の主イェスとニコデモとの対話は、どのように響くのでしょうか。
[01]パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。[02]この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。[03]イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。[04]ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。[05]イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
★主イェスはご自分を訪問してきた老年期と推察されるニコデモに対して、「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と語ります。主イェスは、「死」と「神の国」との間に「だれでも新しく生れなければならない」というくさびを打ち込み、両者を安易に結びつけないのです。このことに“驚く感覚”は聖霊の働きなのだと考えます。

被造物である人間にとっての「律法の位置」

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★今日は「こどもの日」ということもあって「我が子よ」という歌を紹介します。この歌は、かつて私たちの教会の教会員であり、2004年の5月に召された井澤 豊さんの作詞、作曲によるものです。歌を紹介します。
我が子よ 今 人生を歩き始める君に/教えることは 数え切れないほどある/ものごとの善し悪し/人を思いやる心/どんな人生の波も 乗り越えていく勇気と/人を愛し 愛されること/弱い人の力になること/そして たえることのない微笑み/でも一番知って欲しいこと/それは十字架のあがない/神はひとり子を この世に与え/十字架の愛は 罪ゆるすため/主よ 我が子を とらえて離さず/永遠の命を与えたまえ
★信仰を持って45年の歳月が流れ、この歌詞を読みつつ、井澤さんの持っておられた信仰の明晰さを感じとることができました。★ひとりの律法学者から律法の中でどの戒めが一番大切なのですかと問われた時の主イェスによる答えと歌詞の内容が見事に一致していることが分かります。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」★今一度確認しますが、救いの手段としての「行い義認」の為に律法を守ろうとすることは、律法の誤用です。律法とは、自分自身をも含めた全ての被造物に対する管理責任を果たす為に必要な創造主の御旨を知り、それを土台として考える為の最も重要なガイドラインなのです。
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