キリスト者が聖化を考える時にまず覚えること
26/05/19 00:00
★今日は、ローマ人への手紙第12章1節の言葉を聞き取ります。
[01]兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
★読んで分かりますように、この言葉は聖化を促す勧告の言葉です。勧告の内容は「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。」です。この言葉にある「あなたがたのからだ」とは、私たちの「からだ」のことですから、聖化とは、詰まる所「わたしたちキリスト者が、からだを用いて行う倫理的な行為」として意図されていることは明らかです。★そのことを確認した上で続けますと、パウロは、この勧告の言葉を「そういうわけで」という言葉から始めています。この「そういうわけで」の意味することは、パウロが、1章から11章までを用いて語ってきた、キリスト教の教え(教義)の内容のことです。このことから分かりますように、キリスト者の生き方(倫理的行為)は、キリスト教の教え(教義)を信じた者に対して求められている、ということです。★キリスト者が、聖化の歩みとして「私はいかにいきる『べき』なのか」と問う時、ここで用いられている「べき」は、教えを信じた者に求められている「義務のべき」ではなく、教えを信じた者から出てくる「必然のべき」であるということを、赦された罪人として確認し続けたいと思います。
[01]兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
★読んで分かりますように、この言葉は聖化を促す勧告の言葉です。勧告の内容は「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。」です。この言葉にある「あなたがたのからだ」とは、私たちの「からだ」のことですから、聖化とは、詰まる所「わたしたちキリスト者が、からだを用いて行う倫理的な行為」として意図されていることは明らかです。★そのことを確認した上で続けますと、パウロは、この勧告の言葉を「そういうわけで」という言葉から始めています。この「そういうわけで」の意味することは、パウロが、1章から11章までを用いて語ってきた、キリスト教の教え(教義)の内容のことです。このことから分かりますように、キリスト者の生き方(倫理的行為)は、キリスト教の教え(教義)を信じた者に対して求められている、ということです。★キリスト者が、聖化の歩みとして「私はいかにいきる『べき』なのか」と問う時、ここで用いられている「べき」は、教えを信じた者に求められている「義務のべき」ではなく、教えを信じた者から出てくる「必然のべき」であるということを、赦された罪人として確認し続けたいと思います。