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事前に、自分の行動が、隣人に与える影響を考える

★今回は「境界線(バウンダリー)」という書物からの知見に基づいたコラムです。前回は自分が「所有権」を持つ領域で、自分の「責任」を果たすことが「隣人愛」の原点であることを確認しました。★そこで今日は、自分が「所有権」を持つ領域で、自分の「責任」を果たすために必要な事柄を具体的に聴き取ります。★「境界線」の著者は「他者をおもいやること」が必要であると述べています。何が言いたいのでしょうか?★逆に考えてみますと「他者をおもいやることが無い」とは「自己中心的である」となります。「境界線」の著者によれば「自己中心的である」とは「自分のことしか考えず、周囲の人は自分の必要や欲求を満たす為だけに存在しているかのように行動してしまう」ことです。★そこで、考えます。何が、自分自身をして「自己中心的であるかのような振る舞い」をさせてしまうのでしょうか?「境界線」の著者は語ります。「自己中心的でない人」は「自分が行動する前に、自分がしようとしていることが周囲の人にどのような影響を与えるかをよく考える人」なのです。★この言葉の中で重要なのは「事前に、自分の行動が、隣人に与える影響を考える」ということだと聴き取ります。言われてみれば当たり前のことです。もし「」が「相手の行動に起因する問題」を解決しなければならないとしたら、まさにその「相手」に対して「自分の責任を果たせ!」と言いたくなります。★「他者をおもいやること」即ち「事前に、自分の行動が、隣人に与える影響を考える」ことは、自分が「所有権」を持つ領域で、自分の「責任」を果たすことに繋がります。

「黄金律」に聞く

★今日は、主イェスの語られた「黄金律」と呼ばれる聖書箇所に聞きます。
(09)あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。 (10)魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。 (11)このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。 (12)だから(それと全く同様に)何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。
★12節の主イェスの教えに対して「これは主イェス独自の教えではない」とか、古いラビ文献には「何事でも人々からしてほしくないと望むことは、人々にもそのことをするな」という教えもあるのだ、と言及されたりします。★主イェスは「律法であり預言者である」とも語っておられますから、分かり易い比喩を先に伝えた上で、既に存在したラビの教えを語られたとしても、私としては、主イェスの権威が何ら揺らぐことはありません。★引用の本旨に戻りますと「人々からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにする」とは、私の考えでは「相手(隣人)の中に自分と同じ必要を見抜く」と言い換えられます。★相手から感謝してもらうことが目的ではなく、相手の必要を満たすことですから、私には「観察力」や「想像力」加えて「共感力」も必要になります。もちろん「そのとおりにする」という言葉にあるように「行動力」も必要です。★黄金律とは、先に語られている比喩と同様に「隣人の為に何もしないこと」を目指しているのではなく「隣人の為に良い何かをすること」を目指しているのです。
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