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「聖化の歩み」のためのガイドラインを聞き取りましょう

★ヤコブの手紙第2章から引用します。
(01)わたしの兄弟たちよ。わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない。(02)たとえば、あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、りっぱな着物を着た人がはいって来ると同時に、みすぼらしい着物を着た貧しい人がはいってきたとする。(03)その際、りっぱな着物を着た人に対しては、うやうやしく「どうぞ、こちらの良い席にお掛け下さい」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っていなさい。それとも、わたしの足もとにすわっているがよい」と言ったとしたら、
(04)あなたがたは、自分たちの間で差別立てをし、よからぬ考えで人をさばく者になったわけではないか。(12)だから、自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、かつ行いなさい(15)ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、(16)あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。(17)信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
★ガラテや人への手紙第5章から引用します。
(13)兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい(14)律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。(16)わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。(22)しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、(23)柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

主なる神様が、契約に対して誠実であって下さるからなのだ

★エジプトで苦役を課せられていたイスラエルの民が救い出される根拠はここです。
[23]多くの日を経て、エジプトの王は死んだ。イスラエルの人々は、その苦役の務のゆえにうめき、また叫んだが、その苦役のゆえの叫びは神に届いた。
[24]神は彼らのうめきを聞き、神はアブラハム、イサク、ヤコブとの契約を覚え
[25]神はイスラエルの人々を顧み、神は彼らをしろしめされた。
★金の仔牛を造って礼拝してしまったイスラエルの民を救った根拠を捜してみると。

[07]主はモーセに言われた、「急いで下りなさい。あなたがエジプトの国から導きのぼったあなたの民は悪いことをした。[08]彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、これを拝み、これに犠牲をささげて、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』と言っている」。[09]主はまたモーセに言われた、「わたしはこの民を見た。これはかたくなな民である。[10]それで、わたしをとめるな。わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とするであろう」。[11]モーセはその神、主をなだめて言った、「主よ、大いなる力と強き手をもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか。[12]どうしてエジプトびとに『彼は悪意をもって彼らを導き出し、彼らを山地で殺し、地の面から断ち滅ぼすのだ』と言わせてよいでしょうか。どうかあなたの激しい怒りをやめ、あなたの民に下そうとされるこの災を思い直し、[13]あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、あなたが御自身をさして誓い、『わたしは天の星のように、あなたがたの子孫を増し、わたしが約束したこの地を皆あなたがたの子孫に与えて、長くこれを所有させるであろう』と彼らに仰せられたことを覚えてください」。[14]それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。

裁きの中ですら「恵みの神」に向かって「恵みのみ」を求める信仰者のこころ

★まず「ヨナの不従順」を確認します。(01)主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んで言った、(02)「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。(03)しかしヨナは主の前を離れてタルシシへのがれようと、立ってヨッパに下って行った。この後ヨナはこの不従順に起因する苦難を通過することになります。「海に投げ入れられ」、「大いなる魚に飲み込まれてしまう」のです。★次にどうなったでしょうか?(01)ヨナは魚の腹の中からその神、主に祈って、(02)言った、「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた。★この事態の展開から分かりますように「」は「不従順の罪」を持つ「ヨナの祈り」に答えて下さったのです。★この出来事を受けてルターが次のように語っています。要点をまとめます。「あなたはこのような時、心にどんなに鋭い感受性が必要であるかに注目しなさい。その心は、怒りと罰にすっかり囲まれていても、怒りと罰ではなく、恵みといつくしみをそこに見て感じる。すなわち、たとえ、怒りと罰を最も高いところに見て感じ取っても、それを見ず感じないようにしており、また、たとえ、どんなに深いところに恵みが隠されていても、それを見て感じ取ろうとするのである。神のもとに来ることはこのように偉大なことであって、人は、神が怒り、自分は罰せられ、恵みを失ったと感じても、まるで棘の間を、いや、槍や剣ばかりの間を神のもとに突き進んで行かなければならない。」★恵みの神を信じる信仰の心は、恵みの神に向かって恵みのみを求める、ということです。ルターの大胆さが伝わってきませんか?

「神の口から出る一つ一つの言葉」を持っているキリスト者の幸い

◆ご存知の方々も多いと思いますが、イギリス第71代、初の女性首相マーガレット・サッチャー氏が語った言葉として知られる「詩」を紹介します。
 「思考には注意しなさい、なぜなら、それは言葉になるから。
  言葉には注意しなさい、それは行動となるから。
  行動には注意しなさい、それは習慣になるから。
  習慣には注意しなさい、それは人格になるから。
  人格には注意しなさい、それは運命になるから。」
  ─私の父はいつもこのことを言っていた。
◆英語版をネットで調べますと「Solotan Olatunbosun」という名前が出てきます。この人物の「詩」がオリジナルなのではないかと思われます。そうしますと、この「詩」には、もう1行あるのです。◆「
And whenever you give your word, say the truth.」私訳を語りますと「相手に言葉を与える時には、いつでも、真実(本当の事)を言いなさい。」となります。◆何故、この1行が抜けてしまうのでしょう?その理由の一つに「私には、真実(truth)がわからない。」という事実があるように思えます。この意味で言いますと「神の口から出る一つ一つの言葉」を持っているキリスト者は幸いなのだと考えます。
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