February 2011
「性」の問題が指し示す事柄
27/02/11 00:00
★箴言の第7章は、こう始まっています。(1)わが子よ、わたしの言葉を守り、わたしの戒めをあなたの心にたくわえよ。(2)わたしの戒めを守って命を得よ、わたしの教を守ること、ひとみを守るようにせよ。(3)これをあなたの指にむすび、これをあなたの心の碑にしるせ。(4)知恵に向かって、「あなたはわが姉妹だ」と言い、悟りに向かっては、あなたの友と呼べ。(5)そうすれば、これはあなたを守って遊女に迷わせず、言葉巧みな、みだらな女に近づかせない。読んでの通り、第7章の主題は、箴言の言葉をそのまま用いて語れば、「思慮のない若い者、知恵のない若者」を「言葉巧みな、みだらな女」から守る、と言えます。★第5章から始まった「性」の問題が、なぜ「知恵」と係わるのかを問えば、その答えは、「性」の領域にも秩序(倫理)があり、恐らく、その根拠は創造の秩序に起因するからです。★聖書の啓示を真剣に受け止めるならば、おおよそ、人間が持つ「法(法則)」の概念の全ては、被造物である人間が「神のかたち」に創造されていることに起因しています。ですから、物と物の間に成り立つ法(法則)から始まって、人と人との間に成り立つ法(倫理)、ひいては私たち人間と創造主なる神様の間に成り立つ法(律法)を、「神のかたち」の内に内在する理性をもって研究することが知恵となります。★被造物である人間に与えられている理性を、その本来の目的に従って正しく用いるとすれば、「性」の領域に存在する創造の秩序を破壊することを回避するのは当然であります。この視点で言えば、創造主なる神様を認めない人間が、究極滅びを招くのは当然の帰結と言えるのです。
異性問題を正しく警戒せよ②
20/02/11 00:00
★箴言第5章に登場した異性問題は、第6章、第7章と続けざまに登場します。それだけ重要な問題であるということを示しています。今回はその第2回目です。この問題は、箴言そのものの言葉を聞くことで必要かつ充分なことです。★第6章の第一ブロックです。(23)戒めはともしびである、教は光である、教訓の懲らしめは命の道である。(24)これは、あなたを守って、悪い女に近づかせず、みだらな女の、巧みな舌に惑わされぬようにする。(25)彼女の麗しさを心に慕ってはならない、そのまぶたに捕えられてはならない。(26)遊女は一塊のパンのために雇われる、しかし、みだらな女は人の尊い命を求める。(27)人は火を、そのふところにいだいてその着物が焼かれないであろうか。(28)また人は、熱い火を踏んで、その足が、焼かれないであろうか。(29)その隣の妻と不義を行う者も、それと同じだ。すべて彼女に触れる者は罰を免れることはできない。★第6章の第二ブロックです。(32)女と姦淫を行う者は思慮がない。これを行う者はおのれを滅ぼし、(33)傷と、はずかしめとを受けて、その恥をすすぐことができない。(34)ねたみは、その夫を激しく怒らせるゆえ、恨みを報いるとき、容赦することはない。(35)どのようなあがない物をも顧みず、多くの贈り物をしても、和らがない。★使徒パウロの記した文書にもこうあります。(03)神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、(04)各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、(05)神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず…。聖書から見れば、私たち日本人は異邦人です。特に注意する必要がある課題だということです。
聞く耳のある者は聞くがよい
06/02/11 00:00
★今朝は、箴言6章16~19節を考えます。この個所には、これまで取り上げてこなかった箴言の内容がまとめて取り上げられています。箴言5章21節に「人の道は主の目の前にあり、主はすべて、その行いを見守られる。」とありました。その「主の目」から見て「主の憎まれるものが六つある、否、その心に、忌みきらわれるものが七つある(箴言7:16)」というのです。もちろんこの七つで全てが言い尽くされているわけではありません。★その七つとはこれです。⑴高ぶる目、⑵偽りを言う舌、⑶罪なき人の血を流す手、⑷悪しき計りごとをめぐらす心、⑸すみやかに悪に走る足、⑹偽りをのべる証人、⑺兄弟のうちに争いをおこす人。★この七つの項目をよく考えますと、主なる神様が憎まれる二種類の人間が浮き出てきます。その二種類の人間とは「偽りをのべる証人」と「兄弟のうちに争いをおこす人」との二人です。そして、この二種類の人間に共通しているのは、彼らがまず、⑴悪しき計りごとをめぐらす心を持っているということです。そして同時に、彼らは、⑵高ぶる目を持ち、⑶偽りを言う舌を持ち、⑷すみやかに悪に走る足を持ち、⑸罪なき人の血を流す手を持っているということです。★このように整理しますと、今度は彼らに足りないものが浮かび上がってきます。答えは、「わが子よ、わたしの知恵に心をとめ、わたしの悟りに耳をかたむけよ(箴言5:1)」という言葉にあります。彼らには、教訓、教え、訓戒を「聞く耳」がないのです。主イエスの語られた言葉が響きます。「聞く耳のあるものは聞くがよい」★創造主なる神様の御前では、何よりもまず、聞く姿勢が求められているのです。