牧師のページ

キリスト者は、信仰によって義とされているので、義の実を結ぶことを目指すのです。

★オリンピックが開催されました。そこで、新約聖書の中に、パウロが、ギリシャで行われていた競技を前提的知識として語っていると解釈できる箇所があるので、拾い出してみました。Ⅰコリント9章です。

(24)あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。
(25)しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。
(26)そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。
(27)すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。

★この箇所にはキリスト者が現実生活に適用すべき(必然)原理が語られています。第一には「(24)賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように」ということです。この言葉の意味する事は「(26)目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。」という事です。第二には「(25)わたしたちは朽ちない冠を得るために節制する」ということです。この言葉の意味する事は「(27)自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。」という事です。★キリスト者は「死のからだ」であるが故に「原理的に既に神の国に入っているのだから、神の国の住人に相応しい者となる」事を真剣に目指すのです。

「管理責任」があれば「管理報告の時」もある

★前回「被造世界の管理責任」の中には「自分を正しく管理する」ことが入り込んでいると解釈しました。その解釈を土台にして、「境界線(バウンダリー)」という書物からの知見を参考にしました。★この本の著者は語ります。「境界線がしっかりしていれば、神から委ねられた自分の人生を責任を持って管理し、誰かに不健全に依存したり拘束されたりすることなく、愛を動機とした自由で主体的な生き方ができるのです。」そうしますと、この言葉から聴き取るのは「自分を正しく管理する」こととは「自分の人生を責任を持って管理する」ことになります。★この本の著者は、続けて「責任を持って管理する」ことについて次のように語ります。「責任を持って管理する」とは「神から委ねられた人生の所有者(オーナー)、管理者としての責任を果たすこと」です。この言葉が意味する所は、自分自身の人生に「当事者として関わり」、創造主なる神の前にも隣人の前にも、自分が、「自分自身の人生の所有者・管理者としての責任を負う」ということです。★この考え方は、より具体的に、ルカによる福音書第19章11節27節に記されている「1ミナの譬え話」を通して理解出来ます。ですから、この本の著者は語ります。「私たちは皆、いずれ神の前に立ち、自分の人生について申し開きをすることになっています(第二コリント5:10)」★聖書を真理とする立場から言えば「神から管理を委ねられた」ということは、同時に「神に対して、如何に管理したのかを報告する時がある」ということです。両者は必然的に結びついているのです。

「創造の契約」の中に「被造世界の管理責任」が位置づけられる

★わたしたちの教会では「被造世界の管理責任(社会的責任の言い換え)」について語っています。その根拠は、創世記第1章2628節です。★しかし、丁寧に考えますと、主なる神様が何の関係性もない存在に対して責任を押し付ける事はありえないことです。そこで旧約聖書を読みますと、エレミヤ書第33章に次の言葉を見つけます。

[19]主の言葉はエレミヤに臨んだ、
[20]「主はこう仰せられる、もしあなたがたが、昼と結んだわたしの契約を破り、また夜と結んだわたしの契約を破り、昼と夜が定められた時に来ないようにすることができるならば、
[21]しもべダビデとわたしが結んだ契約もまた破れ、彼はその位に座して王となる子を与えられない。またわたしがわたしに仕えるレビびとである祭司に立てた契約も破れる。
[22]天の星は数えることができず、浜の砂は量ることができない。そのようにわたしは、しもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビびとである祭司の数を増そう」。

★旧約聖書内にある契約をご存知なら、この「」の言葉の中には「ダビデ契約」、「塩の契約」、「アブラハム契約」があることが分かります。そして同時に、その気づきに基づくなら「昼と結んだわたしの契約」という言葉から、創造の時に、主なる神様が個々の被造物と結んだ「創造の契約」も語られていると解釈できるのではないでしょうか。★その解釈に立って「創造の契約」を前提すれば、創世記第1章2628節の内容は「創造の契約」における、人間に対する契約条項と解釈することが出来るわけです。★このように「被造世界の管理責任」は主なる神様との契約関係に根拠があるのです。

RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver