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「管理責任」があれば「管理報告の時」もある

★前回「被造世界の管理責任」の中には「自分を正しく管理する」ことが入り込んでいると解釈しました。その解釈を土台にして、「境界線(バウンダリー)」という書物からの知見を参考にしました。★この本の著者は語ります。「境界線がしっかりしていれば、神から委ねられた自分の人生を責任を持って管理し、誰かに不健全に依存したり拘束されたりすることなく、愛を動機とした自由で主体的な生き方ができるのです。」そうしますと、この言葉から聴き取るのは「自分を正しく管理する」こととは「自分の人生を責任を持って管理する」ことになります。★この本の著者は、続けて「責任を持って管理する」ことについて次のように語ります。「責任を持って管理する」とは「神から委ねられた人生の所有者(オーナー)、管理者としての責任を果たすこと」です。この言葉が意味する所は、自分自身の人生に「当事者として関わり」、創造主なる神の前にも隣人の前にも、自分が、「自分自身の人生の所有者・管理者としての責任を負う」ということです。★この考え方は、より具体的に、ルカによる福音書第19章11節27節に記されている「1ミナの譬え話」を通して理解出来ます。ですから、この本の著者は語ります。「私たちは皆、いずれ神の前に立ち、自分の人生について申し開きをすることになっています(第二コリント5:10)」★聖書を真理とする立場から言えば「神から管理を委ねられた」ということは、同時に「神に対して、如何に管理したのかを報告する時がある」ということです。両者は必然的に結びついているのです。
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