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「終末の教え」とキリスト教信仰

★キリスト教以外にも自然災害が「終末の時」を意識させる出来事であると語る宗教はあります。これに対して、純粋に無神論的な立場は「終末の教え」は「脅しによる倫理行為のコントロールに役立つ」となりますでしょうか。★このような視点に立って「終末の時」の到来に関して語る使徒ペテロの言葉を聞いてみましょう。★(08)愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。(09)ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。(10)しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。(11)このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、(12)極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。(13)しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。(14)愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。★確かに無神論の立場に賛成したくなる言葉があります。しかし、この言葉の要点はここです。「すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」★「(15)わたしたちの主の寛容は救のためである…。」究極この神の側の恵みを信じるかどうかです。

「不義をもって真理をはばもうとする人間」が確実に生み出すもの

★私たちの教会では、使徒パウロが書いたローマ人への手紙を読み始めました。その第1章18節にこう記されています。(18)神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。この言葉の中の「不義をもって真理をはばもうとする人間」という言葉が何を意味するのか、抽象的でわかりにくく感じます。★この言葉は直訳しますと「不義の中に真理を保持する人間」となり、この直訳から少し抽象度を下げますと、「不義の中に真理があると主張し生きる人間」となり、私は「主なる神様が不義と判断する事柄を正義とする人間」と解釈します。★このように解釈しますと、第3章に登場してくるパウロの言葉を理解することが出来ます。(05)…もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか。(06)断じてそうではない。ここに語られるパウロの論敵の論理を丁寧に追えば、①「」は「わたしたちの不義」を裁かれる。これは神にとって「正義」の行為である。②これは「わたしたちの不義が」「神の正義を明らかに」しているということだ。③つまり「わたしたちの不義」が「神の正義」に役立っている(=正義)のである。④だから、「正義を行っているわたしたち」に対して「神が怒りを下す」のは「不義」である。★この論理展開は「主なる神様が不義と判断する事柄を正義に転換する」ことです。これが不義の中に、真理を保持する人間」の論理です。★自分自身の思考をも含め、この論理展開に注意を払う必要があります。何故ならこの論理が生み出すのは確実に「倫理的腐敗」だからです。

「真実」が「幼な子」にあらわされるという歴史的な事実

★主イェスが啓示的な業を行っていたにも関わらず、正しく応答しなかった町々をお責めになった記事が継ぎのように書き記されています。
わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。/しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。/ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。/しかし、あなたがたに言う。さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。/そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。/父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。/すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。(マタイ11:21~29)
★主イェスがここで語られた「幼な子」がどのような意味なのか、解釈が別れるところですが、文脈から「知恵のある者や賢い者」と対比されていることは明らかです。★国連の「気候行動サミット」で語られた16歳のグレタさんの演説は、「幼な子」から「知恵のある者や賢い者」へ向けられた「啓示的なメッセージ」と聞きました。
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