牧師のページ

刈り入れ時を逃さない

★今朝は、箴言6章から知恵の言葉を聴き取ります。[06]なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。[07]ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、[08]夏のうちに食物をそなえ、刈入れの時に、かてを集める。[09]なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。[10]しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。[11]それゆえ、貧しさは盗びとのようにあなたに来り、乏しさは、つわもののようにあなたに来る。★「なまけ者」とはなかなか手厳しい言葉です。極めて心理的な言い方になりますが、この言葉が叱責に聞こえるのか、あるいは忠告に聞こえるのか、それとも教育的な配慮に聞こえるのか、それは人によって異なりますし、一人の人間の人生の立ち位置によっても異なります。★語られている主題の中心点を言えば、蟻にとっては「夏のうちに食物をそなえること」が、人間で言う「刈入れの時に、かてを集める」ことに該当します。ですから、「なまける」とは「本来すべき事柄を、本来すべき時に行わないこと」の意味になります。★「いつかやるから」ということで実行の時を遅らせることが可能な事柄も確かにあります。しかし同時に、人生の中には、「時」を間違えますと挽回が難しい結果を享受しなければならないこともあるということでしょう。「今、この時自分がしなければならないことは何か?」このことを御言葉の中から見出す者は幸いです。

異性問題を正しく警戒せよ

★箴言第5章に入り、主題は「遊女」の問題です。裏を返せば「夫婦」の問題となり、適用的に拡張すれば、「女性問題」そして「異性問題」に至ります。★現代の状況を持ち出すまでもなく、この主題は普遍的な問題であり、創造主なる神様からの言葉として、箴言の著者の言葉をそのまま聞くことが賢明です。★[01]わが子よ、わたしの知恵に心をとめ、わたしの悟りに耳をかたむけよ。[02]これは、あなたが慎みを守り、あなたのくちびるに知識を保つためである。[03]遊女のくちびるは蜜をしたたらせ、その言葉は油よりもなめらかである。[04]しかしついには、彼女はにがよもぎのように苦く、もろ刃のつるぎのように鋭くなる。[05]その足は死に下り、その歩みは陰府の道におもむく。[06]彼女はいのちの道に心をとめず、その道は人を迷わすが、彼女はそれを知らない。[07]子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの口の言葉から、離れ去ってはならない。[08]あなたの道を彼女から遠く離し、その家の門に近づいてはならない。[09]おそらくはあなたの誉を他人にわたし、あなたの年を無慈悲な者にわたすに至る。[10]おそらくは他人があなたの資産によって満たされ、あなたの労苦は他人の家に行く。★拡張した視点に立って旧約聖書から引けば、イスラエル王国を確立したダビデ王もまた、この問題でつまずきました。かのバテシバ事件です。このことが原因で、一時的ではあれ、王子アブサロムに王位を奪われ放浪の生活を余儀なくされました。また、イスラエル王国は南北に分裂してしまいます。★正しい意味で警戒しないと、キリスト教会もこの「異性問題」で足もとをすくわれます。

「言葉」と「心」と「目」

★箴言第4章20節,21節にこうあります。「わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。」この言葉から分かる事は、「言葉」と「心」と「目」との三者には深いつながりがあるという事です。一般的な表現で言えば、「何を聴くか」、「何を見るか」ということが「心の健全さを左右する」となります。★まずは「言葉」。第一義的な勧告は「曲った言葉をあなたから捨てさり、よこしまな談話をあなたから遠ざけよ。」であります。次に「目」。こちらの第一義的な勧告は「あなたの目は、まっすぐに正面を見、あなたのまぶたはあなたの前を、まっすぐに見よ。」であります。★そしてここからが思案の段階です。「曲った言葉やよこしまな談話」の方はどちらかといえば具体的に描きやすいと思います。しかし、「まっすぐに正面を見る」の方は、どうでしょうか?皆様は、どのような事柄を具体的に描かれますでしょうか。様々な描き方が可能だと思われますが、今朝は「明確な目標を描き、その目標を見つめる」という適用にしたいと思います。もちろんここで言う目標は、創造主なる神様が与えてくださった約束の言葉に基づいた目標のことです。例えばこのような御言葉があります。「山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない。(イザヤ54:10)」ここからどのような目標設定が可能となりますでしょうか?ほんの少しでも良いのですが、心がワクワクしませんか?

創造主なる神様の契約に対する誠実さを信頼する

★主の年の2011年、おめでとうございます。新しい年の出発にあたり、私たち人間の側ではこの一年、どのような事態が待ち受けているのか、何一つ想像することはできません。ただ推察できることは、私たち一人一人にとって、全ての日々が心地よい出来事だけで満たされているわけではないであろう、ということです。★そのような推察を持つ今朝、心の内に書き留め、めぐり来る朝ごとに思い起こしたい御言葉はこれです。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」★この言葉は、復活の主イエスに出会い、使徒として召され、福音宣教のためにその命を燃やした使徒パウロの、確信に満ちた信仰の言葉です。使徒パウロはここで「万事を益となるようにして下さる」と告白しています。もちろん、主語は「創造主なる神様」です。そして「万事」とは「すべての事柄」の意味です。★この言葉は、何度聞いても励ましになる言葉ですが、同時に、何度聞いても心に納まりにくい言葉かもしれません。というのは「益となる」という基準が、私たち人間の側と創造主なる神様の側とではかなりの程度異なっているからです。加えて、この言葉は「時間」とも深く結びついています。信仰者であれば、このこともまた、じゅうじゅう承知していることでもあります。ですから、詰まる所、時が来れば必ず成就することを忍耐して待つ信仰が求められることになります。★「使徒パウロの確信通りだったね!」と告白できる時が信仰者によって異なりますが、その時は必ず到来します。創造主なる神様の「契約に対する誠実さ」を信じて、この一年も、共に歩みましょう。
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