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支配者の選択

★箴言の第8章には、こうあります。(13)主を恐れるとは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪しき道と、偽りの言葉とを憎む。(14)計りごとと、確かな知恵とは、わたしにある、わたしには悟りがあり、わたしには力がある。(15)わたしによって、王たる者は世を治め、君たる者は正しい定めを立てる。(16)わたしによって、主たる者は支配し、つかさたる者は地を治める。(17)わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。(18)富と誉とはわたしにあり、すぐれた宝と繁栄もまたそうである。(19)わたしの実は金よりも精金よりも良く、わたしの産物は精銀にまさる。(20)わたしは正義の道、公正な道筋の中を歩み、(21)わたしを愛する者に宝を得させ、またその倉を満ちさせる。★箴言の著者は「主を恐れるとは悪を憎むことである」と言います。これが14節へ接続しますから、ここで言う悪は「高ぶり」、「おごり」、「悪しき道」、「偽りの言葉」の四つになります。更に、これが15節に継続しますから、著者の語り方とは逆にしますが、これらの悪は、とりわけ「世を治める王たる者」や「正しい定めを立てる君たる者」、「支配する主たる者」、「地を治めるつかさたる者」たちの致命的な落とし穴ということになります。★引き続き、逆の視点のまま18節以降を読みますと、この四つの悪に染まった「王」、「君」、「主」、「つかさ」は「富と誉」、「すぐれた宝と繁栄」を失います。結果的に、その支配者の下で生活する民は、苦難の生活を強いられるのです。★選挙が近づいている今、“選ぶ目”を養いましょう。

“蟻”の姿から得るべき知恵とは

★箴言第6章に記された第二の主題はこれです。(06)なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。(07)ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、(08)夏のうちに食物をそなえ、刈入れの時に、かてを集める。(09)なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。(10)しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。(11)それゆえ、貧しさは盗びとのようにあなたに来り、乏しさは、つわもののようにあなたに来る。★この箴言の主題は、“蟻”の姿から知恵を得よ、となります。それならば“蟻”の姿から得るべき知恵とは何なのでしょうか。注目すべき一つの姿は「黙々と忠実に働き、事柄を成し遂げてゆく姿」にあるだろうと思います。★しかし、著者の力点はそこではないように思われます。そう思う理由は「かしらなく、つかさなく、王もないが」という三重の畳み掛けです。考えてみますと、これら三つの存在は、全て「命じる」存在です。ということは、しつこいようですが、7節を「ありは、命ぜられることはないが、命ぜられることはないが、命ぜられることはないが…」と読み替えることが出来ます。明らかに、この三重性は“蟻”の働く姿の中に、私たち人間の持つ主体性、自発性、積極性(等)を映していると読みとることが出来ます。★このことをキリスト者の視点で言い換えれば、「神のかたち」に創造された「私」には、「主体性、自発性、積極性」が備わっているということです。あらゆることに対してこの「主体性、自発性、積極性」を用いなければもったいない!のです。

正しい意味で、分をわきまえる

★今朝は、箴言6章1節5節です。(1)わが子よ、あなたがもし隣り人のために保証人となり、他人のために手をうって誓ったならば、(2)もしあなたのくちびるの言葉によって、わなにかかり、あなたの口の言葉によって捕えられたならば、(3)わが子よ、その時はこうして、おのれを救え、あなたは隣り人の手に陥ったのだから。急いで行って、隣り人にひたすら求めよ。(4)あなたの目を眠らせず、あなたのまぶたを、まどろませず、(5)かもしかが、かりゅうどの手からのがれるように、鳥が鳥を取る者の手からのがれるように、おのれを救え。★これは何を教えているのでしょうか?口語訳に基づいて箴言の中を調べてみますと、次のような言葉に出会います。「他人のために保証をする者は苦しみをうけ、保証をきらう者は安全である(11:15)」。「あなたは人と手を打つ者となってはならない、人の負債の保証をしてはならない(22:26)」そして、角度は異なりますが、このような言葉もあります。「知恵のない人は手をうって、その隣り人の前で保証をする(17:18)」★以上の箴言を下敷きにして考えますと、箴言は、安易な思いで隣人の保証人になることを警告しています。ですから、この1節5節の言葉が勧告しているのは、もし安易な思いで隣人の保証人になってしまったことに気付いたら、すぐに保証人になったことを解除せよ、ということです。★良く考えれば、自分の力に余るのに、隣人のためにと安易に保証することは、究極お互いを滅ぼすことになります。良く考えた上で「ハイ」は「ハイ」、「イイエ」は「イイエ」と答える態度は、聖書的なのです。
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