牧師のページ

少年の信仰の戦い

★加藤常昭先生のデボーショナルメッセージを引用させていただきます。★旧東ドイツが存在していたころ、マイセンに近い町の牧師館の客となった。牧師夫人、末っ子のティルマンと三人で夕食をとった。食事の間にティルマン君が泣き出した。まだ11歳。方言丸出しであったので何を訴えているのかわからない。食後に母親が説明してくれた。☆その日、国語の時間の宿題にハインリヒ・ハイネの詩を暗唱していかなければならなかった。きちんと覚えていったが暗唱を命じられて、第二節を飛ばした。「シュレージェンの織物工たち」の第二節、「祈り続けてきた神を今は呪う。寒さと飢えに悩んだとき祈ったのに、望みを抱きつつ待ったのに無駄だった。神はわれわれをからかい、ばかにしただけだ」。☆この言葉を少年は口にしなかった。(中略)学校は無神論教育の手段として、このハイネの革命歌をよく利用した。それを拒否し抜いて帰ってきて緊張が解けて涙となった。たとえ学校の宿題であっても、神をけがすことはどうしてもできない。それがこの少年のからだにまで染みついた信仰であった。私は襟を正して母の言葉を聞いた。★ティルマン君の信仰を「神をけがしてはならない」という律法による拘束の結果と理解することもできます。反対に、「神をけがすことができない」というティルマン君の主なる神様への愛の結果とも理解できます。★私たちの心は知っています。大切なことは、ティルマン君の信仰を論じることではなく、「私は襟を正して‥聞いた」と語られた加藤牧師のごとく、自分の信仰をいつでも再吟味することです。

耳のある者は聞くがよい

★私のキリスト教との出会いは、米国から来ていた短期宣教師たちでした。同じ大学生として会話し、旅行し、共に時間を過ごしました。洗礼を受けるきっかけは、短期宣教師たちの帰国でした。2,3年のうちに一人また一人と帰国して行きました。感情的表現すれば「深い悲しみ」でした。彼らとの接点がキリスト教信仰でした。所定の学びをJ宣教師と行い、洗礼を受けました。今から思えば、その時がキリスト教信仰の入口でした。★つまり私の場合、洗礼を受けてから、主イェスの福音との格闘がはじまったのです。様々な問いを持ち出すことができますが、当時の問いで言えば、「何故救い主はイエス・キリストでなければならないのか」という問いでした。主なる神様の立てられた救いのご計画は遠大です。聖書の啓示する「罪からの救い」を「私」という一人の人間が理解し、信じ受取り、信仰として告白するために、主なる神様は忍耐を持って時間をかけて下さいます。★信仰告白とは、ペテロの言葉で言えば、「あなたは神の子キリストです」であり、トマスの言葉で言えば「わが主よ、わが神よ」でありますが、この信仰告白を「最後まで持ち続ける」ことが、キリスト者の歩みです。だとするなら、その歩みを支えるのは、一体何でしょうか?答は明確です。創世記から始まってヨハネの黙示録に記された全ての言葉を聞くことです。「イスラエルよ聞け。(申命記6:4)」、「耳のある者は聞くがよい。(マタイ11:15)」、「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。(黙示録2:7)」。御言葉を聞き続けている限り、そこに導きの光はあるのです。

幼子イエスを見てから知る「聖書の神」

★元旦礼拝では、次のルターの言葉に従って、御言葉に聞きました。「神を知り、誤ることなく神について思索しようとする者は、飼い葉桶をのぞき込みなさい。下から始めて、まず、ベツレヘムに生まれ、母の膝の上で乳を飲んでいる処女マリアの息子を知ることを学びなさい。それから、神はどのような方かを知ろうとするがよい。」★「母の膝の上で乳を飲んでいる幼子イエス」が指し示した神理解の第一は「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」という御言葉でした。「キリストにおいて、神は最も低くなられた」のです。★第二は「この大祭司(=主イェス)は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。」との御言葉でした。ここから、主イェスは、わたしたちの弱さを思いやることのできるお方なのだ、と聴き取り、聖書の神は、私たちに「共感」してくださる神なのだと知る事ができます。★第三は、神が幼子イエスを「マリアとヨセフという人間の手に委託された」と解釈したことです。このことを「聖なる委託」と呼び、この事実から私は、聖書の神は、「人間に対して聖なる委託をなされるお方だ」という「神理解」を得ました。そして適用です。私たち一人一人は、一日一日の「私」を委託されています。そして、私たちの教会は、新会堂を委託されました。私たちに共感してくださる「インマヌエル」の神に信頼して、謙遜に、この二つの委託を生きようと決意します。
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