少年の信仰の戦い
26/01/14 00:00
★加藤常昭先生のデボーショナルメッセージを引用させていただきます。★旧東ドイツが存在していたころ、マイセンに近い町の牧師館の客となった。牧師夫人、末っ子のティルマンと三人で夕食をとった。食事の間にティルマン君が泣き出した。まだ11歳。方言丸出しであったので何を訴えているのかわからない。食後に母親が説明してくれた。☆その日、国語の時間の宿題にハインリヒ・ハイネの詩を暗唱していかなければならなかった。きちんと覚えていったが暗唱を命じられて、第二節を飛ばした。「シュレージェンの織物工たち」の第二節、「祈り続けてきた神を今は呪う。寒さと飢えに悩んだとき祈ったのに、望みを抱きつつ待ったのに無駄だった。神はわれわれをからかい、ばかにしただけだ」。☆この言葉を少年は口にしなかった。(中略)学校は無神論教育の手段として、このハイネの革命歌をよく利用した。それを拒否し抜いて帰ってきて緊張が解けて涙となった。たとえ学校の宿題であっても、神をけがすことはどうしてもできない。それがこの少年のからだにまで染みついた信仰であった。私は襟を正して母の言葉を聞いた。★ティルマン君の信仰を「神をけがしてはならない」という律法による拘束の結果と理解することもできます。反対に、「神をけがすことができない」というティルマン君の主なる神様への愛の結果とも理解できます。★私たちの心は知っています。大切なことは、ティルマン君の信仰を論じることではなく、「私は襟を正して‥聞いた」と語られた加藤牧師のごとく、自分の信仰をいつでも再吟味することです。