牧師のページ

宣教者のために祈ってください

pcd10038
★聖書を解き明かすという働きに召されている者として、一つの難しさを伝えさせてもらいます。★聖書そのものは文章化されていますので、いつでも何処ででも、言わば自分が好きな箇所を自由に読むことが出来ます。まず、このことが一方にあります。他方、聖書に記された言葉は、大きく言えば、「信仰者に希望を与える言葉」と「信仰者に罪の現実を自覚するように促す言葉」があります。そして、赦された罪人である私たちの心の内には、どちらかと言えば「希望を与える言葉」の方を聞きたいという願望があります。★この内なる傾向に無自覚に支配されてしまい「罪の現実を自覚するように促す言葉」を避けることは信仰的に不健全となります。かと言って「希望を与える言葉(罪の赦し)」を必要としている時に─正確に言えば、主なる神様のみにしかわからない領域です─「裁きの言葉」を語ってしまうことも起こり得ます。★以上は、信仰者の内側の課題です。これに加えて、外側からの声の課題もあります。私たちは、一方で、世が語っている言葉を日々聞いています。他方、インターネットを通して様々なキリスト教会が語る言葉も聞くことが出来ます。それらの声の中にある真理をどのように聞き分けたら良いのか途方に暮れてしまい、時に、判断保留というような状況が生まれてしまいます。★私たちが生きている今という時に、主なる神様が何を語ろうとしておられるのか、それを御言葉から見出すことは単純なことではありませんので、是非、わたしを含め、聖書を解き明かすという働きに召されている者たちのために祈ってください。それが大きな支えになります。

「死からの復活」に対する第一次反応

pcd10025
★マルコが記す主イェス復活の出来事は次のようになっています。
☆さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。☆ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。☆墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。☆今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。☆女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。
★「人には何も言わなかった。恐ろしかったからである」。これが一番最初に主イェスの復活の知らせを聞いた人たちの反応です。そして復活の知らせに対するこの第一次反応はとてもよく理解できると思います。「主イェスが死から復活したのだ」と聞いてすぐに、今風に表現して「ヤッター!」とか「このニュースはどんどん人に伝えなくっちゃ!」とはならないということです。★人間的に言えば、主イェスが死から復活されたことの意味を自らのものとして初めて、人は、主イェスの死からの復活について語り出すのではないかと考えます。

「義(正義)の種」を蒔く戦いから退かない

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★まずは主イェスの言葉ですまむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである」★この御言葉を記した理由はおわかりいただけると思います。そうしますと、次はこの主イェスの言葉です「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。★この御言葉は、わたしたちキリスト者に自戒を求めさせます。その上で、ヤコブの言葉から抜粋します。「わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。◦船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。◦それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。◦舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。◦あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられるし、また制せられてきた。◦ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。◦わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。★罪の赦しを受けた者であっても「義(正義)」の種を蒔いて生きる戦いは決して楽ではありません。しかし、主なる神様は蒔いた種の結果を必ず受け取らせて下さるのです。
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