September 2013
福音の実際的な効果を自分のものとする
29/09/13 00:00

[06]神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
[07]しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
[08]もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
[09]もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
★特に9節に注目してください。「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」この言葉に、「福音」が生きて働くことを確認していただけるのではないしでしょうか。主イエスをキリストと信じる者は、主なる神様に対して自分の罪を告白することにより、罪が赦され、すべての不義からきよめられるのです。まさに「福音」の持つ実際的な効果が自分自身の中に及ぶのです。
縦(神と私)の関係
22/09/13 00:00

(14)あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
(15)また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
(16)そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
★キリスト者は、恐らく、御言葉に従い、御言葉に生きることを願い、主イエスに倣う生き方を目指します。そうしますと、ほとんどの場合、日本人の多くはキリスト者そのものを褒めてくださいます。もちろん、キリスト者は、人に褒めてもらうことを目指して主イエスに倣う生き方をしているのではありません。にもかかわらず、「天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」という結末になることはまれなのです。もちろんそれ自体が悪いわけではありません。そうなのですけれども、キリスト者自身は、おさまりの悪い思いをします。どうしてなのでしょうか?★「赤信号皆で渡れば怖くない」という言葉が日本人の生き方の土台にあるとしたら、人生を計る物差しが常に「横(人間相互)の関係」なのだな、と思えてきます。逆に言えば、「縦(神と私)の関係」を意識することはとても希なことだとなります。人生を計る物差しが「縦の関係」なのだということを、長い年月をかけて地道にお伝えすることが、キリスト教会の証しの姿なのかと強く思わされます。
自分の人生を支える土台
15/09/13 00:00

[09]われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽
きるのは、ひと息のようです。
[10]われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。
[11]だれがあなたの怒りの力を知るでしょうか。だれがあなたをおそれる恐れにしたがってあなたの憤りを知るでしょうか。
[12]われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。
★私たち人間の持つ「いのちの時間」が、主なる神様の御支配の中にあること、「いのちの時間」がいとも簡単に過ぎ去ってしまう短いものであること、そして「いのちの時間」が労苦に満ちていることを詩っています。★しかし、この詩は、虚空に向かって言葉を発しているのではありません。自らの心情を告白できる「創造者」をしっかりと捕えているのです。そして、その「創造者」に向かって、「知恵の心を得させてください。」と願っているのです。私の理解を言えば、創造主からの「知恵」を得れば、「いのちの時間」を「意味あるものできるはずだ」という確信がこの詩人の中にあるのです。★私たち人間は「何も持たない」のではありません。「創造主による被造物である」という明確な身分を持っているのです。この人生の土台とも言うべき身分が持つ意味を、「御言葉(聖書)」からしっかりと聴き取りましょう。そこに「知恵の心」が隠されています。
生の意味を問う相手は自分の外側にいる創造主
01/09/13 00:00
