牧師のページ

主イェスによる「罪の贖い」をどう解釈するのか、について

★ローマ人への手紙を講解する中で、私が持つようになった、主イェスによる「罪の贖い」についての解釈をこのコラムでも述べておきます。★主イェスの十字架刑による「罪の贖い」については、大きく「私の罪の結果である死」が、主イェスの死によって交換されたと理解します。この「いのちの交換」理解は間違っていないと思います。★しかし、細かく考えますと、一つの疑問が浮かんできます。「罪の贖い」とは、「罪の赦し」とも言い換えられ、私が犯した罪の結果を全て取り除いていただけることなのですが、短く語って「罪の結果の除去」がそのまま「私が、主なる神様が要求する基準で律法を守れた」ことになるのでしょうか?このあたりのことが曖昧なまま「主イェスは私の罪のために死んでくださった。」と信じてきたように思います。★聖書的に言えば「贖い」とは「奴隷」を解放するために支払らわれる「贖い金」によって完結します。類比的に言えば「罪の贖い」は「主なる神様」が「主イェス」という「贖い金」を支払って「私たち」を「罪の奴隷状態」から解放してくださったと言えます。しかし、この表現では「贖い」についての理解が不足していると考えるのです。★神学的に言えば「主イェス」という「贖い金」は「主なる神様」に対して支払われたものなのです。ですから「罪の奴隷状態」から解放された「私たち」が「主なる神様と共にいる」ためには「贖い金」の中に「罪の結果である死と交換されるいのち」だけでなく「インマヌエル」の根拠となる「義」が含まれていなければならないと考えるのです。★今回の講解から、私は、主イェスが契約に対して真実であったことにより得られた「律法による義」が「贖い金」の中に含まれていると解釈するのです。

「自分を愛するように自分の隣人を愛せよ」に従う一つの実践

★今年は、キリスト者が教会堂に集い、イースター礼拝をささげることが出来ないという事態が世界中で起きています。その理由は簡単です。私がもう一人別の人との接触を避ければ、感染の拡大を抑えることができるから、という理由です。★もし、私が人との接触により感染したとします。私が5日程度の潜伏期間の内に別の人と接触し、その内の2人が感染したとします。そして、その感染者が、5日程度の潜伏期間の内に別の人と接触しますと……。これが、爆発的に感染者が増加するメカニズムです。★現在は感染者に対して「新感染症法」に基づく医療措置がとられますから、一気に病床が満床になることが想像できます。その結果医療崩壊が起こり、更に感染症が拡大します。それだけではありません。高度な医療処置が必要な病の人達が減少するわけではありませんから、医療機器の不足が顕在化します。マスクの不足どころか医療機器の不足は一気に病の人の命を奪います。★一聞?!「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論理のように聞こえますが、熟考てみれば、今述べた出来事の連鎖は、必然的に確実に生起する連鎖です。★公権は人間の持つ私権をむやみに侵害してはならないという憲法の精神は、私権を持つ私たちが精神的に自立した大人の考え方を持っていなければならない(必然)という事とバランスします。この両者は車輪の両輪です。★今日本に於いて公権は「自粛要請」という形で国民に声を掛けています。この声に対して精神的に自立した大人の考え方を持ってキリスト者が応答する中心点は「自分の命と同じように隣人の命を守る」ということに帰結すると考えます。

「急がば回れ」は有効?!

★現在渦中にあります新コロナウイルス感染症の問題は、私たち(人類)に対して様々な課題を突きつけています。その課題ついて考えますと、明確な一つの特徴に気づきます。その特徴とは、抽象的な表現ですが「危機的な状況の中で生起した問題の解決策は二律背反である」ということです。一般に「あちらを立てれば、こちらが立たず」であります。★目前の人命を優先するための解決策─接触を避けるための対策である都市封鎖等─は経済の停滞を招いてしまいます。また、私の推測ですが、この視点はPCR検査についても言えます。検査を多数実施すれば感染状況の把握が進み、その結果より的を絞った対応策が作成出来ます。しかし、現行法では軽症の感染者も全員入院することになり、医療崩壊に繋がります。★この「二律背反」の状況をよく考えてみますと、人間が「真綿の首絞め状態─ゆっくりと死に向かう状態」に置かれてしまっていることがわかります。医療崩壊は間違いなく人命に影響しますし、経済の停滞も確実に人命に影響します。★ここで「危機的な状況」の一側面を定義します。その定義は、本来であれば「ゆっくり」と進む全体状況が、「一気に、短期間で」進んでしまうということです。この定義から言えば、事態の進展を「遅らせる」という決断が有効なことが理解できます。★「二律背反」であることが変えられない中、特効薬等の解決策が開発されるまでの間、「わたし」に出来ること、それは「ゆっくり」取り組んで良いものは「ゆっくり」実施しましょう、となります。その結果、人の動きが少しでもゆっくりとなることを期待します。急がば回れ!でしょうか。
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