牧師のページ

主なる神様に対して嘆く

★日本キリスト教連合会の総会後に講演会があり、グリーフケアの専門の先生が“主なる神様に対して嘆く”ことの大切さを語られました。旧約の詩編全150編の4割は嘆きの歌であるとも教えて下さいました。そこで、詩篇第35篇から引用します。
[11]悪意のある証人が起って、わたしの知らない事をわたしに尋ねる。
[12]彼らは悪をもってわたしの善に報い、わが魂を寄るべなき者とした
[13]しかし、わたしは彼らが病んだとき、荒布をまとい、断食してわが身を苦しめた。
わたしは胸にこうべをたれて祈った、
[14]ちょうど、わが友、わが兄弟のために悲しんだかのように。
わたしは母をいたむ者のように悲しみうなだれて歩きまわった。
[15]しかし彼らはわたしのつまずくとき、喜びつどい、ともに集まってわたしを責めた
わたしの知らない他国の者はわたしをののしってやめなかった。
[16]彼らはますます、けがす言葉をもってあざけり、わたしにむかって歯をかみならした。
[17]主よ、いつまであなたはながめておられますか、
わたしを彼らの破壊から、わたしのいのちを若きししから救い出してください。
★詩人は「悪をもって詩人の善に報いる彼らが病んだ時」、「荒布をまとい、断食して自分自身の身を苦しめた」のです。これは病の中にある者の持つ「悲しみ」に対して深い共感を示す行為です。しかし「彼らはわたしのつまずくとき、喜びつどい、ともに集まってわたしを責めた」のです。★「わが魂を寄るべなき者とした」とは、強烈な孤独です!

キリストを着た(教理)からキリストを着る(倫理)へ

★ガラテヤ人への手紙第5章17節の冒頭の言葉を土台にしたルターの言葉を聞いてください。[5:17]肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反する。
☆争いは、粗野な罪人たちのうちにではなく、信仰者のうちで起っているということ、また、悪い欲望を抱けば直ちに罰せられると考えなくてもよいというかすかな慰めが、キリスト者には与えられていることをここから学びなさい。☆このためまた、あなたがキリスト者であっても、あなたはあらゆる種類のつまずきや、肉における悪い傾向をもつものであるということも学びなさい。☆なぜなら、信仰のあるところには、百もの悪しき思いが、また、以前に比べて百以上もの試練が出てくるものである。あなたが一人の人間であることを忘れないで、捕らえられないようにいつも抵抗して、このように言いなさい。「私はしません。私はしません。主キリストよ。あなたは、求めよ、そうすれば与えられる……と言われました。助けてください。愛する主よ。あらゆる試練から」と。★「死のからだ」を持ちつつも「キリストを着た」キリスト者は、主イェスから「贖罪」と「行いによる完全な義」を受け取ります。これがキリスト教の教理です。そこから「死のからだ」を持つキリスト者の「キリストを着る」歩みが始まります。キリストに似る者となる歩みです。これが、キリスト教の倫理です。★時間はかかりますが、葛藤と格闘を体験しつつ、キリスト者は必ずキリストに似る者へと変えていただけるのです
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