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キリストを着た(教理)からキリストを着る(倫理)へ

★ガラテヤ人への手紙第5章17節の冒頭の言葉を土台にしたルターの言葉を聞いてください。[5:17]肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反する。
☆争いは、粗野な罪人たちのうちにではなく、信仰者のうちで起っているということ、また、悪い欲望を抱けば直ちに罰せられると考えなくてもよいというかすかな慰めが、キリスト者には与えられていることをここから学びなさい。☆このためまた、あなたがキリスト者であっても、あなたはあらゆる種類のつまずきや、肉における悪い傾向をもつものであるということも学びなさい。☆なぜなら、信仰のあるところには、百もの悪しき思いが、また、以前に比べて百以上もの試練が出てくるものである。あなたが一人の人間であることを忘れないで、捕らえられないようにいつも抵抗して、このように言いなさい。「私はしません。私はしません。主キリストよ。あなたは、求めよ、そうすれば与えられる……と言われました。助けてください。愛する主よ。あらゆる試練から」と。★「死のからだ」を持ちつつも「キリストを着た」キリスト者は、主イェスから「贖罪」と「行いによる完全な義」を受け取ります。これがキリスト教の教理です。そこから「死のからだ」を持つキリスト者の「キリストを着る」歩みが始まります。キリストに似る者となる歩みです。これが、キリスト教の倫理です。★時間はかかりますが、葛藤と格闘を体験しつつ、キリスト者は必ずキリストに似る者へと変えていただけるのです
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