牧師のページ

よこしまな者の道、悪しき者の道を歩むな

★箴言第4章に入り、再び父が子に教える帝王学の言葉です。もちろん主題は「知恵を得よ、悟りを得よ(5)」であります。ところがこの第4章では、知恵の内容そのものが語り出されるまでの前置きで、何と13節もの節が費やされるのです。それほどに王にとっては“知恵と悟り”が生命線なのです。★前置きの後に語り出された知恵は、これです。「(14)よこしまな者の道に、はいってはならない、悪しき者の道を歩んではならない。(15)それを避けよ、通ってはならない、それを離れて進め。(16)彼らは悪を行わなければ眠ることができず、人をつまずかせなければ、寝ることができず、(17)不正のパンを食らい、暴虐の酒を飲むからである。」読んでの通り、総論で言えば「よこしまな者の道」、「悪しき者の道」を歩んではならない、ということです。★13節もの言葉を前置きしたわりには“何と単純な”と思われるかもしれません。しかし、この父である王は、自分自身をも含め、人間は「不正のパンを食らい、暴虐の酒を飲む」道を選ぶ“種”を内に宿しているという事実をよく知っているのです。★「不正のパンと暴虐の酒」の味がどれほど美味しいかは、恐らく置かれている地位によって異なります。キリスト者である私たちは、創造主の御目に事柄の大小は全く関係がなく、悪は悪であると映ることを知っています。その意味では、遥に多くの頻度、この内なる種との葛藤を重ねなければならないかもしれません。そして、その戦いこそが目に見えない霊的な戦いの本質そのものでもあるのです。“赦された罪人”に過ぎない私たちへの使徒パウロの勧告の言葉はこれです。「御霊によって歩みなさい。」

クリスマスおめでとうございます!

★主イエスのご降誕を心から喜びます。今日のコラムは、キリスト者であれば充分に理解していることですが、主イエスのご降誕の意味についての再確認です。★主イエスが、その生涯を通して成し遂げてくださった御業の中心は贖罪です。○先ず最初に主イエスの言葉に聴きます。「(17)口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、外に出て行くことを知らないのか。(18)しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。(19)というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、(20)これらのものが人を汚すのである。」これは、私たちが聖書で言う罪人であることを自覚するための言葉です。○律法(主イエスの言葉)に照らして自らが全くの罪人であることを認めた者は次にパウロの言葉を聴きます。「(22)約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。(24)このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。」○キリストの下に行き、赦された罪人に生まれ変わったキリスト者は、次にヨハネの言葉を聴きます。「(8)もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。(9)もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」このヨハネの言葉に従い、キリスト者は、悔い改めを繰り返しつつ、十戒を生きる者となるのです。

隣人の必要に対して見て見ぬふりをするな

★箴言第3章の後半に入ります。★(21)わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って、それをあなたの目から離してはならない。この「確かな知恵と、慎みとを守って、それをあなたの目から離してはならない。」を主文と読みます。そうしますと、「あなたの目から離してはならない。」とありますから、今回の知恵は、具体的に見えるものに関係しているのではないかと推察できます。★続く22節26節は、知恵に生きる者に対する約束の内容と言えます。(22)それはあなたの魂の命となり、あなたの首の飾りとなる。(23)こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、あなたの足はつまずくことがない。(24)あなたは座しているとき、恐れることはなく、伏すとき、あなたの眠りはここちよい。(25)あなたはにわかに起る恐怖を恐れることなく、悪しき者の滅びが来ても、それを恐れることはない。(26)これは、主があなたの信頼する者であり、あなたの足を守って、わなに捕われさせられないからである。驚くべき約束です。強調されている約束は、「恐れなく、安らかに生きられる」ということです。★それでは、その知恵とは一体何なのでしょうか何か?今日は、続く27,28節のみに絞ります。(27)あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない。(28)あなたが物を持っている時、その隣り人に向かい、「去って、また来なさい。あす、それをあげよう」と言ってはならない。推察した通りでした。私たちの知る言葉で大きく言えば、「隣人の必要に対して見て見ぬふりをするな」ということです。もちろん、一度にすべてをではなく、コツコツと確実にです。
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