牧師のページ

微力ではありますが無力ではない

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★「知恵の言葉は時にかなって与えられると心を打つ。」このことを強く感じましたので、記憶に留めておくため、コラムに書かせていただきます。★「すべての人々に何もかもはできなくとも、誰かに何かはできる。」これは、国際NGOであるワールド・ビジョンの創設者ボブ・ピアスさんの語った言葉で、自分には何も出来ないと考えてしまい、行動を躊躇している人達に、最初の一歩を踏み出させる力を与えました。この言葉の中にある「全てのことは出来なくても、幾つかのことは出来る」という考え方は、様々な場面で躊躇する自分の背中をそっと後押してくれる言葉だと感じています。★これにもう一つの言葉が加わりました。先週の主日礼拝の時、司会者のW兄弟が、祈りの中で「微力ではありますが無力ではない‥」という言葉を語られたのです。その言葉が瞬時に私の心を捕えました。なぜ反応したのか、その時には理由が分かりませんでしたが、後に気づきが与えられました。★私の心が最も反応したのは「無力ではない」という言葉であると思います。私は普段から自分自身の働きが「微力」であると考えているのだと思います。ですから、その事実は受け入れているのだと思います。そこへ「微力ではありますが無力ではない」という言葉が語られ、心を打ったのです。その理由は、一般的な言葉で言えば、この言葉が「微力であること」に対して意味を与え、肯定的な評価を与えてくれたのだと思います。逆に言えば、私は、知らず知らずの内に「微力」であることを否定的に考えていたのだと思います。「微力ではありますが無力ではない!」私には良い言葉が与えられました。

まず一歩!

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★パウロが教えてくれている御霊の実を確認します。(22)‥御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛(親切)、善意、忠実(誠実)、(23)柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。★続いて、パウロが御霊の実である愛をさらに詳細に説明してくれている箇所です。(04)愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。(05)不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。(06)不義を喜ばないで真理を喜ぶ。(07)そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。★何度も聞かされることですけれども、堅い言葉で表現すれば、これらは皆、人格的な美徳の内容を語っています。つまり、御霊を内に宿す私達キリスト者はこのような人格へと成長する(変えられてゆく)ということです。★このように書き出して、現在の自分自身に当てはめてみますと、なんとも情けない気持ちになります。なぜなら、あのこともこのことも未熟なままだからです。しかし、気落ちし、がっかりしている場所にいつまでも留まってはいられません。単純な真理が背後から後押ししてくれます。大変ありがたいことに、私が御言葉に信頼して、御霊と共に動き出せば、御霊の実を結ぶことができるのです。世の知恵者の言葉を借りれば、一歩前に歩み出せば、一歩ゴールに近づくのです。全てはこのことの繰り返しです。そして乱暴に聞こえることを覚悟して言えば、必要なのは一歩を踏み出す勇気ではなく、ただ単純に一歩を踏み出すことそのものです。★さあ、一歩を踏み出しましょう!

からし種ほどの信仰すら支えられない自分を知って

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★使徒パウロがローマの教会に送った手紙の最初にある言葉です。(15)そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。(16)わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。(17)神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
★今朝は、これらの言葉の中のどこにパウロが力点を置いて語ているのかを考えずに、むしろ、どこに力点があると感じたかに重きをおきます。そうしますと、今回わたしは「信じる者に」という言葉に思いが引き寄せられました。★これまでのキリスト者としての歩みを省みますと「信じる」という言葉を何度も語ってきましたが、「信じる」という行為は、実に簡単なようでいて、実際は大変難しいことなのだと感じています。★大変不思議なことですが「信じる」という行為は、安定して「信じている」者には当然のように思えますが、「信じられない」人達には、非常に高い障壁になります。それだけではありません。「信じている」と思っていた自分の心が不安定になり始めると、今度は、自分は「本当は信じていないのではないか」という思いが心の中で暴走し、歯止めが効かないような状態に陥ってしまいます。★このような体験をすると「信じる」という行為すら自力では支えきれないものであることが分かります。このような時、わたしはペテロの言葉を思い起こし、主イェスの側が“からし種ほどの信仰”を見つけ下さることを期待して、次のように語ります。「主よ、わたしが“信じている”ことを、あなたはご存じです」。
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