October 2020
キリスト者が主イェスから受け取ったものの価値がわかれば分かるほど…。
25/10/20 00:00
★ルターは、「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイ11:30)」の御言葉を土台にして、次のように語っています。☆これは、「安心しなさい。私は世に打ち勝った」という意味である。私たちは、今、この世、悪魔、罪、死、肉、病気などあらゆる種類の悪の勝利者を私たちの身に負って、讃美するほかに何もすべきではない。☆まことに彼の軛は負いやすく、彼の荷は軽く心地よいのだが、彼が私たちのために負われた軛と荷は悪魔と神の怒りである。彼は私たちをそこから守ってくださる。いや、神は私たちをすでにそこから救い、私たちは、それによって彼の心地よく軽い荷物を背負っているのである。その交換は喜んで受け入れられる。☆彼は善良な商人であり、あわれみ深い小売商である。彼は私たちに死と引き替えに命を、罪と引き替えに義を売り、彼が安く与え、親切に貸すことの証として、一つか二つの病気をほんのしばらくの間、賃貸料として(地上の商人のように)私たちに課すのである。☆まことに、イエス・キリストは、正しい方であり、私たちの中で戦い、私たちの中で打ち勝ち、私たちの中で勝利を誇られる。そのほかには何も生じない。地獄の門は震え上がらせておこう。★ルターが用いるこの「あわれみ深い小売商」の類比は、この地上にあって生きるキリスト者にとって、受け入れ易いものではないでしょうか?キリスト者が「死と引き替えに命を、罪と引き替えに義」をキリストから得ていることの素晴らしさが分かれば分かる程にです!
人が「善悪を知る者となった」という言葉の意味
04/10/20 00:00
★創世記に啓示された「善悪を知る木」とは、人(アダム)にとって「善悪を知る木からは取って食べてはならない」という「創造主」の言葉に従えば「善」であり、従わなければ「悪」であることが分かる「木」ということです。★このことから、当然のことですが「創造主」だけが「被造世界全体」に対して「何が善であり何が悪である」かを「定める位置」に立つ御方である、となります。つまり、「創造主」が「これは善」と定めれば、そのことは「善」となり、「創造主」が「これは悪」と定めれば、そのことは「悪」となります。この意味で、「創造主」だけが「善悪を知る者」であります。★そうしますと「創造主」が定めた「善悪の規定」を破る行為は、いったい、何を意味することになるでしょうか?★文脈的な言葉遣いで言えば、「創造主」が定めた「善悪の規定」を破る行為は、「創造主」ではなく、「わたし(人)」が「何が善でがあり何が悪である」かを決めるのだと主張し、それを実行してしまうことになります。つまり、「わたし」は、今後、「創造主」が定めた「善悪の規定」に従わず、「わたし(人)」が決めた「善悪の規定」に従って歩むのだ、となります。★このことは、論理的な帰結として「わたし(人)」は、「創造主」のように「善悪を知る者」となるのだ、という宣言であります。
★これが「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった」という言葉の意味です。同時に、この「善悪を知る者」とは契約違反者を意味する言葉なのです。
★これが「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった」という言葉の意味です。同時に、この「善悪を知る者」とは契約違反者を意味する言葉なのです。