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キリスト者にとっての律法の位置

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★プロテスタント信仰の中で「律法主義」という言葉は、悪役を担わされています。その理由は、この言葉が「人は律法を守ることによって救われるのだ」という教えを意味しているからです。この意味付けは、新約聖書の福音書におけるパリサイ人と主イェスとの間の論戦から結論づけられたのただろうと推察しています。★ところが、今度は「律法主義」を批判する立場が行き過ぎてしまい「無律法主義に生きても良いのだ!」という考え方が生まれ出てしまいました。その結果、そもそも「律法とは何か?」という問いが真剣に問われるようになったのです。★そこで、誤解を恐れず最初に「律法」に関する命題文を語りますと「キリスト者は、聖霊と共に、律法を守ることによって聖くなる」となります。★プロテスタント信仰の中で「きよめ」が語られますが、「きよくする」とは「神の側に取り分ける」という意味です。ここからキリスト者が「きよくなる」という言葉の意味を定義づけます。まず、福音を信じて救われた時、主イェスに於いて「神の側に取り分けられた」となります。続いて「神の側に取り分けられた」者は「どのように生きるのか」と問うことになり「神の側に取り分けられた者にふさわしく生きることだ」となります。そこで更に「神の側に取り分けられた者にふさわしく生きるための規範」は何処にあるのかと問うことになり、その答えが「律法」となります。★赦された罪人に過ぎないキリスト者は、聖霊と共にでなければ、積極的に「律法」に生きようとはしません。ですから「神の側に取り分けられた」者には内的な戦いがあるのです。この内的な戦いが、キリスト者から消えることはありません。

聖書は、実践と試練なしには決して理解されない

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★ルターが「試練のみがみことばに気を配ることを教える」というタイトルで次のように語っています。☆私は、私の神学を一気に学び終えたのではなく、徐々に深くそれについて探求し続けなければならなかった。私の試練がそのために役立ったのである。なぜなら、聖書は、実践と試練なしには決して理解されないからである。だから、パウロは、彼を打ちたたき、試練によって彼を追い立て、熱心な聖書の学びヘと向かわせる悪魔を持っていたのである。同様に私は、教皇や大学、学者たちを持っており、彼らによって私は悪魔を自分の首に付けていたのである。彼らは私を聖書ヘと駆り立てたので、私は熱心に読み、それにより聖書の正しい理解に到達したのであった。私たちがこのような悪魔をもっていなかったとしたら、自分でよくないことを思い巡らし、それはこうであるべきだなどと、自分の知恵のみで思索する単なる思弁的な神学者にとどまるのである。★ルター流の「悪魔」が登場している文章ですが、論述の中心点は「試練」が持つ信仰者の為の「働き」です。言葉を替えて説明的に語ります。★悪魔の働きは、試練を用いて、究極、私達キリスト者を御言葉の真理から遠ざけることです。このことを逆手に取るのです。この世にあっては試練が無くなることはありません。そうであるがゆえに、試練に出会うたびに、私たちは、御言葉と向き合い、その試練によって遠ざけられようとしている御言葉の真理は何であるのかを忍耐強く発見しようと努めるのです。★その取り組みが決して虚しくは終わらないということが、ルターのあかしです。

立ちはだかる壁に直面した時の決断

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★主の年の2018年、おめでとうございます。新年の開始にあたり、ルターの言葉から「苦難・災難・困難・葛藤・閉ざされること等」(以下、壁とする)の存在する意味を聞きます。☆私たち(キリスト者)の中で神のみ名があがめられるようになると、神は私たちをみ国に置いて、恵みを注ぎ込まれ、それが私たちを義しくさせ始める。この恵みは、直ちに神のご意志を実行しようとする。そこで恵みはー人の抗うアダムに出会い、そのアダムに逆らって心の中で神に向かい、叫んで言う。「みこころが行われますように」と。そこで、キリスト者は、自分が重い荷を積んでいることに気づくのである。☆神がこの叫びを聞かれると、ご自分のお気に入りの恵みをもって助けに来られ、お始めになったみ国を増そうとされ、真剣に力ずくで、いたずら者の頭領である旧いアダムにのしかかり、あらゆる災難を与え、彼のあらゆる企てを打ち砕き、目をくらませ、彼を取り囲んで傷っける。神が私たちに様々な苦悩や災難をお与えになるときには、そういうことが起こっているのである。そして、このためには、邪悪な言葉や、悪い不誠実な人々が、また人が足りないところでは、悪魔も役立っているに違いない。それは、私たちの意志がその悪い傾向と共に締め殺され、恵みがみ国を得て、神のみこころが行われ、神の賛美と栄光だけがそこにとどまるようになるためである。★ルターの語るように、「壁」の目的が「み国の増大/神のみこころの拡大」だとするなら、立ちはだかる壁の前でキリスト者が決断すべきは「進める道を選択する」ことだと言えます。これは、最も消極的な選択による道が最も最善な選択になるという逆説です。そして、この逆説は、創造主が全ての領域をご支配くださっておられるから成り立つのです。
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