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立ちはだかる壁に直面した時の決断

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★主の年の2018年、おめでとうございます。新年の開始にあたり、ルターの言葉から「苦難・災難・困難・葛藤・閉ざされること等」(以下、壁とする)の存在する意味を聞きます。☆私たち(キリスト者)の中で神のみ名があがめられるようになると、神は私たちをみ国に置いて、恵みを注ぎ込まれ、それが私たちを義しくさせ始める。この恵みは、直ちに神のご意志を実行しようとする。そこで恵みはー人の抗うアダムに出会い、そのアダムに逆らって心の中で神に向かい、叫んで言う。「みこころが行われますように」と。そこで、キリスト者は、自分が重い荷を積んでいることに気づくのである。☆神がこの叫びを聞かれると、ご自分のお気に入りの恵みをもって助けに来られ、お始めになったみ国を増そうとされ、真剣に力ずくで、いたずら者の頭領である旧いアダムにのしかかり、あらゆる災難を与え、彼のあらゆる企てを打ち砕き、目をくらませ、彼を取り囲んで傷っける。神が私たちに様々な苦悩や災難をお与えになるときには、そういうことが起こっているのである。そして、このためには、邪悪な言葉や、悪い不誠実な人々が、また人が足りないところでは、悪魔も役立っているに違いない。それは、私たちの意志がその悪い傾向と共に締め殺され、恵みがみ国を得て、神のみこころが行われ、神の賛美と栄光だけがそこにとどまるようになるためである。★ルターの語るように、「壁」の目的が「み国の増大/神のみこころの拡大」だとするなら、立ちはだかる壁の前でキリスト者が決断すべきは「進める道を選択する」ことだと言えます。これは、最も消極的な選択による道が最も最善な選択になるという逆説です。そして、この逆説は、創造主が全ての領域をご支配くださっておられるから成り立つのです。
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