牧師のページ

なんと書いてあるか。あなたはどう読むか


★第二のアダムとしての主イエスが、悪魔(サタン)による誘惑を受けた時、主イエスが引用された旧約聖書の言葉がこれでした。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」。悪魔に対しての返事を意識すれば「と書いてある」という言葉が、主イエスご自身の言葉です。★この「と書いてある」という言葉は、啓示の媒体として「言葉」が用いられたことを表しています。この「啓示の媒体としての言葉」という事実を相対的な事柄に過ぎないと考えますと、言葉以外の啓示媒体を積極的に導入することになります。確かに、このこと自体は歴史的な必然かも知れません。しかし、私たち人間としては、注意深くなければなりません。★丁寧に考えてみれば明らかなように、文字以外の表現媒体を用いて何かを伝えるとしても、伝達の中心部分には必ず言語が存在しています。つまり、人間対人間、人格対人格の間では、言語がなければ、コミュニケーションが成り立たないのです。★ここで本題にもどります。「神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きる」べき人間に対して、主なる神様は、啓示としての聖書を与えてくださいました。その啓示の言葉を傍らに置く私たち一人一人に対して、主なる神様が「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」と問いかけていらっしゃるのです。そうしますと、被造存在である人間は、「聖書を読む」ことと「読んだ言葉を考える」ことの両方を、日々積み重ねていく存在である、となります。翻訳の問題は脇に置くとして、聖書の御言葉を、自分で読み、自分で考えつつ聴き取るという歩みを積極的に積み重ねたいと願います。

私たち罪人にとっての究極の隣人イエス


★今日学びます、良き(慈悲深い)サマリヤ人の譬えは、様々な説教を生みました。この意味では、説教者泣かせの譬えですが、別な言い方をすれば、「その解釈も可能ですよ!」ということで、懐の深い聖書個所とも言えます。そのように思いつつ、他の福音書を調べてみますと、マタイによる福音書第11章25節〜30節にこう記されています。★そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。(25〜27)すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(28〜30)」★読んでの通り、良き(慈悲深い)サマリヤ人の譬えが続いてはいません。しかし、主イエスによる28節〜30節の言葉は、良き(慈悲深い)サマリヤ人の譬えを読み解くヒントを与えてくれます。なぜなら、主イエスこそが「(罪の)重荷を取り去って下さる御方である」という文脈を与えてくれるからです。★現在では不人気ですが、「慈悲深いこのサマリヤ人こそ主イエスご自身である」と解釈する立場があるのです。★私たち罪人にとっては、究極の隣人こそ主イエスであられます。両福音の文脈は見事に一致するのです。

(宗)東京福音センターのルーツを知る2冊の本


★今年の5月までに二冊の本が出版されようとしています。一冊は「人生を変える男」であり、もう一冊は、「主にあって共に生きる者たち」であります。★「人生を変える男」は、言わば日本語に堪能なコーウィン先生による、リビング・バイブル版マタイによる福音書です。大きく言えば、1%の壁を破るため、私たち日本人に対して、聖書をもっと身近で分かりやすいものにしたいという宣教師スピリットの集大成であります。★「主にあって共に生きる者たち」の方は、東京ティラナスホール創立50周年記念出版として計画されたものです。とは言えその著者は、ティラナスホールを知らない人物です。コーウィン先生によるこれまでの著作を読んでいただき、それと並行して、ティラナスホール関係者の方々にインタビューしていただきました。この二つの体験を通して、ティラナスホールの歴史の中に確実に流れている“スピリット”を外部の目で、客観的につかみ取っていただき、執筆していただきました。★この二冊の校正に携わりつつ、心の目が開かれる体験をしました。ことに「主にあって共に生きる者たち」の方は、戦後65年を経過した現在の日本の人たちに対して語りかける書物として読むことができます。1945年11月、戦後処理の任務に就くために横須賀の地に降り立ったコーウィン青年から始った歴史物語の中に流れているもの、それは、詰まる所、明治以降日本を支配した「和魂洋才」というスローガンをすり抜けた“スピリット”です。そしてそれは、私たち多摩ニュータウンキリスト教会の中にも確実に流れているものです。★教会員の皆様にも、是非、この2冊を読んでいただきたく願います。
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