牧師のページ

なんと書いてあるか。あなたはどう読むか


★第二のアダムとしての主イエスが、悪魔(サタン)による誘惑を受けた時、主イエスが引用された旧約聖書の言葉がこれでした。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである」。悪魔に対しての返事を意識すれば「と書いてある」という言葉が、主イエスご自身の言葉です。★この「と書いてある」という言葉は、啓示の媒体として「言葉」が用いられたことを表しています。この「啓示の媒体としての言葉」という事実を相対的な事柄に過ぎないと考えますと、言葉以外の啓示媒体を積極的に導入することになります。確かに、このこと自体は歴史的な必然かも知れません。しかし、私たち人間としては、注意深くなければなりません。★丁寧に考えてみれば明らかなように、文字以外の表現媒体を用いて何かを伝えるとしても、伝達の中心部分には必ず言語が存在しています。つまり、人間対人間、人格対人格の間では、言語がなければ、コミュニケーションが成り立たないのです。★ここで本題にもどります。「神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きる」べき人間に対して、主なる神様は、啓示としての聖書を与えてくださいました。その啓示の言葉を傍らに置く私たち一人一人に対して、主なる神様が「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」と問いかけていらっしゃるのです。そうしますと、被造存在である人間は、「聖書を読む」ことと「読んだ言葉を考える」ことの両方を、日々積み重ねていく存在である、となります。翻訳の問題は脇に置くとして、聖書の御言葉を、自分で読み、自分で考えつつ聴き取るという歩みを積極的に積み重ねたいと願います。
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