牧師のページ

毎日9,000人とはいかずとも

★マザー・テレサに関する一つのエピソードがあります。★カルカッタで働いていたマザー・テレサは、毎日9,000人もの人達の世話をしていました。もちろん、マザーたちが食事を用意しなければ、彼らは食べることができません。ある日、一人のシスターがマザーの下に来て言いました。「マザー、金曜日と土曜日の分のお米がもうありません。もうないということを皆に知らせなければ。」すると金曜日の朝九時ごろ、パンを満載したトラックが、マザー達の所に来たのです。インド政府が何らかの理由で学校を閉めたため、なんと、給食用のパンが全部マザー達のところに届けられたのです。金曜日と土曜日の二日間、マザー達がお世話をしている人達は、パンまたパン、そしてパンを食べたのです。マザーには、神がなぜそれらの学校を閉められたのかその理由がわかっていました。この何千という人達は、神が自分たちを愛しておられること、面倒をみてくださっているということを、よくわかったに違いないのです。★箴言第14章31節にこうあります。「貧しい者をしえたげる者はその造り主を侮る、乏しい者をあわれむ者は、主をうやまう。」主なる神様ご自身が、貧しい者たちや乏しい者たちを心に止めておられることがわかります。だとすれば、主なる神様のこの働きを担うことは、キリスト者として当然の働きなのだとなります。もちろん一人で担う働きではありません。しかし、志を同じくする者達が集まれば、マザーのように、毎日9,000人とはいかずとも、何がしかの働きが始められるのではないかと思わされます。どうでしょう?

平和の福音の備え

★キリスト者の地上での歩みを考える時、今日では、「伝道と社会的責任」という言葉が用いられます。この2つの事柄は、この世におけるキリスト者の存在理由とも言えます。★使徒パウロは、この存在理由の故に、地上での歩みを進める私たちに、神の武具が必要であることを知っていました。ですから、次のように述べています。★[13]それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。[14]すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、[15]平和の福音の備えを足にはき、[16]その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。[17]また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。[18]絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。★ここから武具そのものに焦点をあてれば「腰:真理の帯」、「胸:正義の胸当」、「足:平和の福音の備え」、「腕:信仰のたて」、「頭:救のかぶと」、「手:御霊の剣」、「口:絶え間ない祈りと願い」となります。★この中で「平和の福音の備え」とは何でしょうか?これらが戦いのための武具であることから考えれば、「平和の福音の備え」とは、戦いの時に、しっかりと、地に足がついていることを想起させます。加えて次の御言葉があります。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」★以上から考えますと、「平和の福音」を持ち運ぶ「足」を確固たるものにするのもまた「平和の福音」と読めます。★この世で「伝道と社会的責任」に生きるキリスト者の足を堅固なものとしてくれるのは、神との和解を確立してくれた主イエスの福音そのものです。
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