牧師のページ

キリスト者は“公”に生きているので信仰も“公”になるのです

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★戦争の時代を知る加藤常昭師の言葉を聞いていただきます。★「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」。ローマの信徒ヘの手紙第10章9、10節。★ここに「公に言い表し」という言葉が繰り返されている。新共同訳において初めて現れた表現である。信仰は公のことだという理解が前面に出ている。★社会主義国が力を持っていたとき、どの政府も言っていたのは、教会が信仰を私的なこととし、私的な精神的世界に関わる祭儀を守っていれば弾圧することもない。ただし公の事柄に口を挟み、公の行動を取るのならば、話は別である。しかし、多くの社会主義国の教会は、これを拒否した。そのために国家と教会との間に対立が生じた。★たとえば天安門事件が起こったとき、東ドイツの教会では、そのための祈祷会が開かれた。警察の監視、弾圧のもとで。そしてそれが東ドイツ民主化のひとつの口火を切ることになった。信仰を自分だけの隠れたこころの世界のこととせず、世に生きる自分の責任ある言葉と行為とに関わることとする。新共同訳は、そのような信仰理解を私たちに求める。★キリスト者は“公”と喧嘩するつもりなど無いと思います。むしろ「“公の見解”に反することを語ることを禁じる国」の為政者たちが「見解の異なる者達」を迫害するのです。★「私は誤りを犯さない」と語る為政者と「私は誤りを犯す人間です」と語る為政者とがいた場合、キリスト者である私は後者をより信頼します。

キリスト者が願い求める「御霊の実」は「愛」だけではない

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★通常キリスト教は「愛の宗教」と言われます。その理由は、例えば「わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」という主イエスの教えが驚くべきメッセージとして人々の心に届いたからであります。★そのように理解して新約聖書を読めば、次のパウロの言葉が思い起こされます。「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」★パウロが語るこの愛の内実を聴きつつ、もう一つのパウロの言葉を並べます。「御霊の実は、①愛、②喜び、③平和、④寛容、⑤慈愛(親切)、⑥善意、⑦忠実(誠実)、⑧柔和、⑨自制(節制)であって、これらを否定する律法はない。」★こちらのリストをよく見れば、「」は「御霊の実」の筆頭に上げられており、更に8つの「」があるのです。つまり、私たちの側から言えば「御霊(=聖霊)」を内に宿すキリスト者が「結ばせていただける人格的な結実」は「」だけではない、ということです。★「これらを否定する律法はない」というパウロの言葉に注目しますと、全てのキリスト者に向けたパウロの思いが伝わってきます。その思いとは、折りあるごとに「主よ、私に、これらの御霊の実を結ばせてください!」と祈る、信仰的応答の生涯を生きることです。

キリスト者は「みことばを反芻する」

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★今年の10月31日は、ルターによる「宗教改革500周年」の宗教改革記念日でした。★この宗教改革によって生み出された最大の出来事は、「キリスト者が、自分自身で聖書を読む」ということでしょう。もちろん誤った聖書解釈を生んでしまうという弊害があることは事実ですけれども、万人に聖書が開かれているという事実の方が、はるかに重要です。★ここでルターの言葉を聞いてください。★(前略)あなたは人の言葉を読んでいるのではなく、神のことば、至高の言葉を読んでいるのである。神は、その語ることに熱心に耳を傾け、注目する生徒をもつことを望まれる。愚か者だと思われないように、諸侯の手紙は慎重に三回は読むべきであるとよく言われているが、それなら、神の手紙である聖書を人はどんなに多く読むべきであろうか。三、四、十回、百回、千回、何千回も読むべきであろう。なぜなら、それは慎重に思慮深く語り、まことに永遠の知恵そのものだからである。このようにする者は、聖書によって、さらに学びの深い、良い者となり、そうしない者は、何も学ぶことなく、さらに悪くなるであろう。きよい獣は反芻するからである。反芻とは、神のことばを真剣に受け入れ、心でとらえ、それに対して愛と喜びをもち、熱心に考え、しっかりそれを信頼することである。きよい者、すなわち、正しいキリスト者は、そのように行い、その心はみことばにより、信仰を通してきよめられる。みことばを真剣に思わない者たちは、汚れた獣のままで居続ける。★ルターのこの言葉を紹介した焦点は、「きよい獣は反芻する」というこの律法規定を「みことばを反芻する」というキリスト者の生き方に適用している点です。ルターならではの解釈ですが、今私に必要な言葉としてストレートに響きました。
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