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キリスト者が願い求める「御霊の実」は「愛」だけではない

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★通常キリスト教は「愛の宗教」と言われます。その理由は、例えば「わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」という主イエスの教えが驚くべきメッセージとして人々の心に届いたからであります。★そのように理解して新約聖書を読めば、次のパウロの言葉が思い起こされます。「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」★パウロが語るこの愛の内実を聴きつつ、もう一つのパウロの言葉を並べます。「御霊の実は、①愛、②喜び、③平和、④寛容、⑤慈愛(親切)、⑥善意、⑦忠実(誠実)、⑧柔和、⑨自制(節制)であって、これらを否定する律法はない。」★こちらのリストをよく見れば、「」は「御霊の実」の筆頭に上げられており、更に8つの「」があるのです。つまり、私たちの側から言えば「御霊(=聖霊)」を内に宿すキリスト者が「結ばせていただける人格的な結実」は「」だけではない、ということです。★「これらを否定する律法はない」というパウロの言葉に注目しますと、全てのキリスト者に向けたパウロの思いが伝わってきます。その思いとは、折りあるごとに「主よ、私に、これらの御霊の実を結ばせてください!」と祈る、信仰的応答の生涯を生きることです。
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