牧師のページ

タラントの譬えから

★今年最後のコラムは、タラントの譬えから引用いたします。★(20)五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。(21)主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。(22)二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。(23)主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。★そのまま引用せずともご存知かと思いますが、強調したい言葉は、この言葉です。「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから‥‥」。この言葉には「忠実」という言葉が2回登場し、「わずかなものに」という点に焦点が当てられています。★この理解を適用的に言えば、「大きな働きは、小さな働きの集積であり、それらの小さな働きを忠実に実践して行けば、必ず大きな働きが完成する」ということです。★私達の教会は、2014年に新会堂を与えられ、2015年は、主なる神様のみ旨がどこにあるのか、それを探り求めながらの歩み出しとなります。私達の教会は、「大きな働き」をことさら意識する分けではありませんが、「小さな働き」を忠実に積み上げていきたいと思います。

クリスマスに、心から“神”を喜ぶ

★クリスマスおめでとうございます!主イェス誕生にまつわる記事から聴き取ります。★主イェスの父となるヨセフに対して、主の御使いが夢の中に顕れ、告げます。妻マリアの産む子供に「その名をイエスと名づけなさい。」その理由も告げられています。「彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」★「イエス」という名はヘブル語で言えば「ヨシュア」であり、「主は救い」という意味です。ですから、主イェスの生涯に起きた出来事を知る私たちは、「主は救い」と名付られた主イェスが、その名の通り、罪人をその罪の結果である永遠の滅びから「救う者」となったということを確認することが出来ます。★そうしますと、歴史的な順序から言えば、キリスト者の上には「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」という言葉が成就しています。また「わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。」という言葉も「わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。」という言葉も成就しています。ですから「わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。」という言葉も、私達キリスト者に、成就するはずなのです!心から「神を喜ぶ」クリスマスでありますように!

静けさの中で主なる神様と出会う

★カトリックのキリスト者の方々が「瞑想」の時や「黙想」の時を持たれるのと同じように、プロテスタントのキリスト者にも「デボーション」とか「静思の時」と呼ばれるものがあります。「瞑想」の時と「静思の時」との間に、どれほどの違いがあるのか、私には分かりませんが、マザー・テレサの言葉の中に、興味深い指摘を見つけました。

私たちは神を見出す必要があります
神を、騒がしさや落ち着きのないところで
見いだすことはできません。
神は静けさの友です。
沈黙の祈りを実践すればするほど、活動において
もっと多くを与えることができるのです。
大切なことは、私たちが言っているのではなく、
神が、私たちにおっしゃること、
そして、神が私たちをとおして
おっしゃっていることなのです。

★このマザーの言葉に語られていますように、沈黙や静けさの中で大切なことは、どうも、「主なる神様からの語り掛けを聞く」ことのようです。「静思の時」には御言葉(聖書に記された具体的な言葉)を用いますが、御言葉を想起出来るほどに読み込んでいることが「静思の時」を充実させるコツのように思えます。

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