牧師のページ

人間は「神のかたちに」創造されているので「被造世界の管理責任」を果たすことができる

★今朝は、毎度おなじみの聖書箇所です。創世記第1章26節28節です。

[26]神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。

[27]神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
[28]神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
★私たちは聖書を難しく読むわけではなく「何が伝えられているのか」を素直に聴き取ろうとするのです。そうしますと、26節から、主なる神様は、まず自らの「計画」を「宣言され」ました。そして、27節から、主なる神様は、その「計画」を「実行され」、「自分のかたちに人を創造され」ました。そして、28節から、主なる神様は「自分のかたちに創造した人」に対して「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」と命じたのです。★これらの啓示理解から、私たち人間は、自分自身に関する「知識」を得ることが出来ます。ここで「キアスムス的視点」を持ち出しますと「男と女とに創造された」と「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」が対応し、「神のかたちに創造し」が「地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ(被造世界の管理責任)」が対応します。★私たちは「神のかたちに創造されている」ので「被造世界の管理責任」を果たすことが可能なのです。

「コロナ禍」であるからこそ考えなければならないポイント

★新型コロナ感染症が拡大している真っ最中、国民が、安定と安心の心で、物事を冷静に考える時間を持てないでいる時に、特措法等の改正が進んでいます。「何で事前に準備しておかなかったのか!」という声が上がる中、悪く勘ぐれば(根拠はもちろんありません)「事態がその様になるのを待っていたのだ」とも考えてしまいます。★ともあれ、加藤常明先生の次の言葉が示唆に富んでいます。◆ヨハネによる福音書第6章は、群衆にパン5つと魚2匹を分け与えて満腹させた主イエスの御業を書いている。記述は平静である。しかし、実際には大変な興奮状態の中で事が進んだと思われる。◆「そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、『まさにこの人こそ、世に来られる預言者である』と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた」◆好きなだけ食べさせてくれる王を求める。逃れる主イエスを必死になって追いかける民。主はこの「王待望」を斥けられ殺された。◆民主主義になっても私たちが求める権力者も同じではないか。この求めを満たす者が王となる。◆ヒットラー批判が当然のドイツを訪ね、民衆と語ると、1933年、ハーケンクロイツの旗が全土に翻るや、たちまちインフレが収まり、失業者が減り、高速道路が出来、軍備が整い、国際的劣等感が拭われた興奮の日々を懐かしむ声を聞いた。◆主はこの興奮を斥けられた。★「安定と安心を与えることが出来る権力者」を求める心は緊急時に正しく機能するのか?国民の為に、この問いを考慮している姿が見えない権力者を信頼することは、私には難しい。

「事実(Fact)」の背後にある「真実(Truth)」を知っていてくださる主イェス

★今日は「事実」と「真実」の違いを確認します。
[35]イエスが宮で教えておられたとき…
[41]イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。
[42]ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。
[43]そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。
[44]みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。(マルコによる福音書第15章)
(*当時の「一デナリ」を五千円としますと「一コドラント」は78円になります。)
★この場面で、献金していた人達が皆、自分の目で見て確認できることを「事実」と言います。ですから、「
ひとりの貧しいやもめがレプタ二つを献金した」ことが「事実」です。★この「事実」に対して主イェスは「あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れた」と語られました。この言葉の内容を「真実」と言います。「真実」とは、「事実」の背後にある事柄のことで、目の前の「事実」をいくら見ていても、全く分からない領域を扱います。★罪を赦す権威を持っておられる贖い主イェスの眼差しは、私たちの「真実」を見抜かれる眼差しなのです。

体験に基づいた「共感」を具体化して生きる

★申命記第24章に次のような律法規定があります。

[17]寄留の他国人または孤児のさばきを曲げてはならない。寡婦の着物を質に取ってはならない。
[18]あなたはかつてエジプトで奴隷であったが、あなたの神、主がそこからあなたを救い出されたことを記憶しなければならない。それでわたしはあなたにこの事をせよと命じるのである。

★18節からの推察は、イスラエル人が「エジプトで奴隷であった」時、エジプト人ではないという理由で公正な「さばき」が行われなかったのです。また、エジプト人であっても「孤児」の「さばきは曲げられていた」し「寡婦」が生活苦から「着物を質にいれてしまう」ということが起きても、省みられなかったのです。続いて19節21節です。

[19]あなたが畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない…。
[20]あなたがオリブの実をうち落すときは、ふたたびその枝を捜してはならない。それを寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。
[21]またぶどう畑のぶどうを摘み取るときは、その残ったものを、ふたたび捜してはならない。それを寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。
[22]あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったことを記憶しなければならない。それでわたしはあなたにこの事をせよと命じるのである。

★これらの律法の要点はあなた方は共感できるはずだね」です。新しい霊と新しい心が結びついて行動する時のヒントがここにあります。

2021年も、主なる神様の御声を聴き取り、信頼して歩みましょう

★捕囚され、70年間バビロンに住むことになったイスラエルの民への言葉です

[04]「万軍の主、イスラエルの神は、すべて捕え移された者、すなわち、わたしがエルサレムから、バビロンに捕え移させた者に、こう言う、
[05]あなたがたは家を建てて、それに住み、畑を作ってその産物を食べよ。
[06]妻をめとって、むすこ娘を産み、また、そのむすこに嫁をめとり、娘をとつがせて、むすこ娘を産むようにせよ。その所であなたがたの数を増し、減ってはならない。
[07]わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るがよい。その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである。[08]と[09]は省略。
[10]主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。
[11]主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。
★罪の結果とは言え、異国の地で70年間も生活しなければならないとは、どれ程の困難を伴ったことでしょうか。ただ、主なる神様は、預言者エレミヤを通して彼らに言葉を与えられました。「バビロンで七十年が満ちるならば…」、「わたしがあなたがたに対していだいている計画は…平安を与えよう…将来を与え、希望を与えようとするものである。」★2021年も、御言葉から主なる神様の御声をしっかりと聴き取り、信頼して歩みましょう。

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