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委ねられたものに対する応答性

pcd09088★マザー・テレサの言葉に次のようなものがあります。

マザー・テレサ、あなたは、なんでもただで与えて、貧しい人達を甘やかしています
と言われた時、私はこう答えました。
神様ご自身以上に、私たちを甘やかしている方はありません。
神様は、いつでも私たちにただで与えていらっしゃいます」
私たちの持っている物はすべて
神様からの無償の贈り物です

★今朝は、主イェスの言葉に関連付けます。
[43]『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
[44]しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
[45]こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
★主イェスの言葉を用いるなら「天の父は、悪い者にも、正しくない者にも、愛を注いでおられる」となります。「天の父」から委ねられた(与えられた)物をどう使うのか?ここに、自由に応答することを選べるように創造された私たち一人一人の恵みと責任性があります。そして「応答」はいつでも変えられるのです。

“心を悩ますな”との御声を聞いて

[01]悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。
不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。
[07]主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。
おのが道を歩んで栄える者のゆえに、
悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。

★ダビデの歌と記された詩篇第37篇から1節と7節だけを抜き出しました。両方の節に共通して「心を悩ますな」と語られています。この「心を悩ますな」とは、通常「悩んではいけない」と解釈されます。もちろんその解釈が間違っているわけではありません。★そのことをふまえて今朝考えますことは、「悩むこと」と「悩み続ける」こととの相違です。私の判断で言えば「悩むこと」は避けられません。「悩み」の原因になる事柄は、私たちの外側からやって来るからです。それに対して「悩み続ける」こととは、「悩み」の原因になる事柄に支配されている状態です。この「支配されている」という所が議論の焦点です。人間の意志の問題として考えれば、「悩み」の原因になる事柄を考え抜くことは必要ですが、「悩み」に「感情」を支配される必要はありません。★感情をコントロールすることの難しさを知らないわけではありませんが、「悩み」の原因になる事柄を考え抜く姿勢を積み上げることで、感情の嵐を静めることは可能です。

「創造主なる神様」の側に取り分けられているが故に

★今朝は、ローマ人への手紙第12章からパウロの言葉です。
[17]だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。
[18]
あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
[19]
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
[20]
むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。
[21]
悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。★17節と21節に同じ主旨の言葉が語られています。これをキアスムス的に聴き取るなら、より強調されているのは18節20節に記された内容です。★内容としては、3つありますが、中心に位置するのが19節です。「自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」★「復讐」という言葉の持つイメージをどのように受け止めるのかは人によって異なりますが、客観的に言えば、「最終的な結末は私が定めている」となります。★キリスト者は、自らのことを、主イェスの贖罪を信じ受け入れ、歴史を支配なさる「創造主なる神様」の側に取り分けられている(聖別)と信じるが故に「悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」との生き方を選ぶのだと信じます。
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