December 2020
「信仰による義」は「インマヌエル」を保証する
27/12/20 00:00
★ルカによる福音書が書き記す、主イェス誕生にかかわる出来事の結びは、高齢者であった「シメオンとアンナ」のエピソードです。「シメオン」をみてみましょう。
[25]その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
[26]そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。
[27]この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、
[28]シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
[29]「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに、この僕を安らかに去らせてくださいます、
[30]わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
[31]この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
[32]異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。
★お気付きになられると思いますが、「聖霊が彼に宿っていた」、「聖霊の示しを受けていた」、「御霊に感じて宮にはいった」という3つの表現があります。この中で注目するのは「聖霊が既にシメオンに宿っていた」ことです。★主イェスの十字架による死と復活の前後で「信仰によって義と認められる」という表現が「信仰によって義とされる」と語り換えられるとは言え「信仰による義」があるなら「聖霊によるインマヌエル」が起きているのです。
[25]その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
[26]そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。
[27]この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、
[28]シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
[29]「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに、この僕を安らかに去らせてくださいます、
[30]わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
[31]この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
[32]異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。
★お気付きになられると思いますが、「聖霊が彼に宿っていた」、「聖霊の示しを受けていた」、「御霊に感じて宮にはいった」という3つの表現があります。この中で注目するのは「聖霊が既にシメオンに宿っていた」ことです。★主イェスの十字架による死と復活の前後で「信仰によって義と認められる」という表現が「信仰によって義とされる」と語り換えられるとは言え「信仰による義」があるなら「聖霊によるインマヌエル」が起きているのです。
預言者の言葉の中に「イエス」を聴き取る
13/12/20 00:00
★使徒10章43節にペテロの言葉としてこうあります。「預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく、その名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています。(使徒10:43)」
★この言葉を受けて、ルターが次のように語っています。◇それゆえに、聖書を正しく有益に読もうとする人は、キリストをそこに求めるように心がけなさい。そうすればその人は確実に永遠の命を見つける。◇これに反して、もし私が聖書の中でモーセや預言書を読むときに、キリストが私や他のすベての人の救いのために天から下られて人となり、苦難を受けて死んで葬られ、復活して天に昇られたこと、また、私が、彼によって、神との和解と、すべての罪の赦し、恵み、義、永遠の命を得たことをそこに読み取り、学ばないなら、聖書を読んでもまったく私の救いに役立たない。私は、聖書を読み学ぶことによって、学識のある人間になり、他の人々にそれにっいて説教できるかもしれないが、それは私にとって何の益もないのである。◇なぜなら、もし、私がキリストを見出し知ることもないのなら、私は、救いも、永遠の命も見出さない。いや、私は苦渋に満ちた死に出会うのである。なぜなら、「私たちが救われるべき名は、イエスの名によるほかには、人に与えられていない」(使徒4章)ことを私たちの愛する神は決定しておられるからである。★「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。」
★この言葉を受けて、ルターが次のように語っています。◇それゆえに、聖書を正しく有益に読もうとする人は、キリストをそこに求めるように心がけなさい。そうすればその人は確実に永遠の命を見つける。◇これに反して、もし私が聖書の中でモーセや預言書を読むときに、キリストが私や他のすベての人の救いのために天から下られて人となり、苦難を受けて死んで葬られ、復活して天に昇られたこと、また、私が、彼によって、神との和解と、すべての罪の赦し、恵み、義、永遠の命を得たことをそこに読み取り、学ばないなら、聖書を読んでもまったく私の救いに役立たない。私は、聖書を読み学ぶことによって、学識のある人間になり、他の人々にそれにっいて説教できるかもしれないが、それは私にとって何の益もないのである。◇なぜなら、もし、私がキリストを見出し知ることもないのなら、私は、救いも、永遠の命も見出さない。いや、私は苦渋に満ちた死に出会うのである。なぜなら、「私たちが救われるべき名は、イエスの名によるほかには、人に与えられていない」(使徒4章)ことを私たちの愛する神は決定しておられるからである。★「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。」
「不正に生きる」ことを目指さない存在が必要である
06/12/20 00:00
★今朝は「不正」に関する御言葉を取り上げました。
[02]あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。(出エジプト記23章)
[15]さばきをするとき、不正を行ってはならない。貧しい者を片よってかばい、力ある者を曲げて助けてはならない。ただ正義をもって隣人をさばかなければならない。(レビ記19章)
[35]あなたがたは、さばきにおいても、物差しにおいても、はかりにおいても、ますにおいても、不正を行ってはならない。
[36]あなたがたは正しいてんびん、正しいおもり石、正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない。(レビ記19章)
[13]あなたの袋に大小二種の重り石を入れておいてはならない。
[14]あなたの家に大小二種のますをおいてはならない。
[15]不足のない正しい重り石を持ち、また不足のない正しいますを持たなければならない…。
[16]すべてこのような不正をする者を、あなたの神、主が憎まれるからである。(申命記25章)
★まだありますが、最後に、主イェスの言葉です。
[12]また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
★「善悪を知るもの」であるキリスト者でも、主イェスから「地の塩、世の光」と言われました。キリスト者からこの生き方が生まれ出てくるのは「善悪を知るもの」である“私”を変えてくださる、主なる神様の霊による働きだからです。