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「信仰による義」は「インマヌエル」を保証する

ルカによる福音書が書き記す、主イェス誕生にかかわる出来事の結びは、高齢者であった「シメオンとアンナ」のエピソードです。「シメオン」をみてみましょう。
[25]その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
[26]そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。
[27]この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、
[28]シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
[29]「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに、この僕を安らかに去らせてくださいます、
[30]わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
[31]この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
[32]異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。
お気付きになられると思いますが、「聖霊が彼に宿っていた」、「聖霊の示しを受けていた」、「御霊に感じて宮にはいった」という3つの表現があります。この中で注目するのは「聖霊が既にシメオンに宿っていた」ことです。★主イェスの十字架による死と復活の前後で「信仰によって義と認められる」という表現が「信仰によって義とされる」と語り換えられるとは言え「信仰による義」があるなら「聖霊によるインマヌエル」が起きているのです。
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