牧師のページ

「パワースポット」ブーム

★今の日本では「日本の伝統と文化」という言葉にぼやかされ、多くの若い人達が、パワースポット巡りと称して、神社や寺院を訪れています。★パウロは次のように語っています。「‥ある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。」この言葉から分かりますように、パウロが伝道していた時代にも「違った霊」を受けるという体験が起きていたのです。★そこで私は「霊的な体験」という事態は現代でも起り得ると考えます。ですから、キリスト者として大切なことは、「違った霊」の体験をした人達に惑わされないことです。★この点についてヨハネはこう語っています。「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。(略)あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。」★パウロが「霊を受ける」と語る場合、それは「聖霊」のことです。当然の事ですが、キリスト者は、約束された「聖霊」以外の霊を受け取る必要はありません。

私にはこう思える

★オリンピックの選手を扱う番組を見ますと「目標設定」という考え方の重要性が見てとれます。まず、到達すべき目標が設定されます。続いて、その目標に至るまでの道筋を分割し、いくつかの段階に分けます。その後、それぞれの段階で何が必要なのかを逆算するようにして決めてゆきます。それらの詳細が決まれば、目標に至る地図の完成です。この手法は大変合理的であり、事柄が順番通り進みますと、確実にゴールに到達できます。★この手法は、一般の言葉で「段取り」と言いますが、私たちの周りを見渡しますと、あらゆる所で、この手法が用いられています。そのことから、この手法が大変優れたものであることがわかります。★そのことを認めた上で「目標設定」の変わりに「夢」という言葉を置いてみます。そうしますと、たとえば「夢を実現するための七つのステップ」のような本が書けることになります。もう既に出版されているかもしれません。★このように考えてさらに進み「夢」の所に「○○の将来」という言葉を入れてみましょう。そうしますと、今私たちの国で起きていることを考えることができます。現在の政府が描いている「日本の将来」は「皇紀○○○年」という言葉をもって自国の歴史を数える国です。また、現在の日本国憲法では、国会で定めた法律を「人権」とか「自由」という憲法に基づく視点で、原理上チェックすることができますが、現在の政府が描いている「日本の将来」では、「人権」や「自由」が憲法によって制限されています。今現在、このゴールに至るためのステップが着々と踏まれているように、私には思えます。

「御名があがめられますように」とは

★主イェスが教えてくださった「主の祈り」は「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように」と始まります。この「御名があがめられますように」は、ギリシャ語の直訳では「御名が聖とされますように」となります。★旧約聖書に馴染みが薄い日本人にとって「御名が聖とされますように」という言葉では意味がよく分かりません。そこで、エゼキエル書第36章16節32節を読んで下さい。ここには、主なる神様ご自身自ら「汚されているご自身の御名を聖くする」という宣言があります。宣言の内容を引用すれば、[24]わたしはあなたがたを諸国民の中から導き出し、万国から集めて、あなたがたの国に行かせる。[25]わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から清める。[26]わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。[27]わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。[28]あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住んで、わが民となり、わたしはあなたがたの神となる。★この宣言を主なる神様が実現なさる時「主なる神様の御名が聖とされる」のです。この啓示内容を「救いの視点」から言えば、ユダヤ人も異邦人も共に罪の奴隷状態から導き出され、新しい心と新しい霊を与えられて、神の国に導き入れられる時、主なる神様の御名が聖とされるのです。

マラナ・タ(われらの主よ、来たりませ)

★使徒パウロがコリント人への第一の手紙の最後で挨拶を記載しています。
(21)ここでパウロが、手ずからあいさつをしるす。
(22)‥(省略)‥マラナ・タ(われらの主よ、きたりませ)。
年頭に焦点を当てたいのはこの「マラナ・タ(われらの主よ、来たりませ)」です。
★海外旅行の準備と言えば、大きく二つの方法があります。一つ目は、旅行会社によるパック旅行です。ある程度の自由時間はありますが、計画全体が設定されています。二つ目は、自由旅行です。出入国の航空便だけを依頼して、後は全て自分で計画します。★乱暴な言い方と承知しつつ語りますが、「マラナ・タ」と語る教会の歩みに対しも上記と類似したアプローチがあるように思います。ビジネスの世界と同様に「長期・中期・短期的到達目標」を明確にし、それらの目標達成を目指す方向です。この合理的方法が「上手に」教会成長に適用され、飛躍的に成長した教会、成長しつつある教会があります。それに対して、明確な最終目標とある程度の輪郭だけを設定し、その輪郭内であればフリープランで行きましょうという方法です。そして「どちらが賢明か?」という比較の問いを問うなら、私の答えは「両者共に賢明です!」となるように思います。★キリスト者個人ではどうでしょう?短期的には「主イェスにあって、この世に対する管理責任(伝道も含めて)を果す」、中期的には「主イェスにあって天国(待合室)に行く」、長期的には「神の国に復活し、永遠の命を生きる」という目標を持っています。年頭に当たり、このことは明確に確認しておきましょう。
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