牧師のページ

愛の律法の背後にある愛を考える


★「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。」これは主イエスによる律法要約、その2であります。この律法要約から理解されますように、愛を教える律法の場合、「自分を愛するように」ということが先にあるということです。★この点をどう考えるかによって、キリスト者の具体的な行動は変化します。以下、表現を誇張しますが、第一の態度は、この言葉を無視し、「あなたの隣り人を愛せよ。」という所だけを強調する立場です。これは大変素晴らしいのですが、「自分を愛するように」という要素がまずあることを無視していますから、この立場を徹底して生きるなら、恐らく、行き詰まります。★第二の態度は、「自分を愛するように」という要素を認めるのですが、あくまでも自分(人間)の持つ尺度で愛を解釈する立場です。この立場は、最終的に「自分が生きているからこそ、相手を愛せるのではないか」という存在の問題に至る時、ジレンマに突き当たります。★第三の態度は、「自分を愛するように」という言葉の背後に、「主なる神様が自分を愛してくださったその愛で」という言葉を聞き取る立場です。もちろんこのように語ったからと言って、キリスト者が、いつでも第一や第二の立場を回避できているわけではありません。しかし、自分と隣人とが共に、主なる神様の愛によって創造された存在であるという「創造価値における対等性」と主イエスが十字架の上で、その命と引き換えに贖罪の愛の中に招き入れようとしている存在であるという「贖罪価値における対等性」との二つの愛を土台に置くなら、その土台に立った判断が行動化すると信じるのです。神の愛から離れた愛の定義は、キリスト者のものではありません。

「そのかた」と出会うことを喜びとする


★イエスがユダヤのベツレヘムでお生れになった時、東からきた博士たちがエルサレムに到着していました。この博士たちの目的はこれです。「わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました。」この言葉から推察されることは、この東の博士たちは一種の占星術に基づいた行動をしたのではないかということです。★博士たちはヘロデに仕えていた律法学者たちから「キリストはユダヤのベツレヘムに生まれる」と聞いて出発します。そうしますと、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまったのです。この記述が語ることは、いわゆる天空にある星の動きだけでは説明できないことは確かです。取り分け「その上にとどまった」という記述は、イメージで言えば、星から一条の光が、光の矢のように放たれ、幼子イエスの住む家の屋根に到達したかのようです。起きたことが何であれ、「わたしたちはあの星に導かれている」という博士たちの信仰が成就した瞬間です。それが証拠に、こう記されています。「彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。」★もちろん「非常な喜びにあふれた。」というこの言葉が示していますのは、「そのかたを拝みにきました。」という「そのかた」を遂に見つけたからです。この博士達の旅程がどれほどであったのかは、「東から」という言葉からは判断できないめ、推測があるだけです。しかし、それがどれほどの旅程であれ、「そのかた」と出会うことを喜びとする力が、それを果させたということは確かなのです。★「そのかた」と出会いたいという喜びが人生を導く、まさに神の国へ向かう私たちの姿です。

賢い者となるか、それとも愚かな者となるか


★今日で山上の説教のコラムは最後になりました。主イエスによる山上の説教の締めくくりの言葉がこれです。
[24]それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
[25]雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
[26]また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
[27]雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
★読んでの通り、家を建てる者の比喩です。メッセージは単純明解でありまして、「岩」の上に家を建てる者は賢く、「砂」の上に家を建てる者は愚かだということです。家の建て方のこの基本については誰でも知っていることです。ですから、最も中心的な論点は、「イエスのこれらの言葉」を「聞いて行う者」が賢い者であり、「聞いても行わない者」は愚かな者であるということです。★イエスの言葉を聞いた人たちは、イエスが「権威ある者のように、教えられた」と認めています。ということは、イエスのこれらの言葉を聞いて行うか、それとも行わないのかという最終的な判断は、究極、語られたイエスの権威を認めるのか、それとも認めないのかという点に行き着くということです。★イエスはいったい何者なのか?答えは、神の子、救い主であります。
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