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賢い者となるか、それとも愚かな者となるか


★今日で山上の説教のコラムは最後になりました。主イエスによる山上の説教の締めくくりの言葉がこれです。
[24]それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
[25]雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
[26]また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
[27]雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
★読んでの通り、家を建てる者の比喩です。メッセージは単純明解でありまして、「岩」の上に家を建てる者は賢く、「砂」の上に家を建てる者は愚かだということです。家の建て方のこの基本については誰でも知っていることです。ですから、最も中心的な論点は、「イエスのこれらの言葉」を「聞いて行う者」が賢い者であり、「聞いても行わない者」は愚かな者であるということです。★イエスの言葉を聞いた人たちは、イエスが「権威ある者のように、教えられた」と認めています。ということは、イエスのこれらの言葉を聞いて行うか、それとも行わないのかという最終的な判断は、究極、語られたイエスの権威を認めるのか、それとも認めないのかという点に行き着くということです。★イエスはいったい何者なのか?答えは、神の子、救い主であります。
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