August 2019
赤子のように御言葉を乳として慕い求める
25/08/19 00:00
★宗教改革の時に行われた変革の中で注目すべき変革は「キリスト者が自らの母国語で聖書を読むようになること」でした。教会に行き、原本から自分で検証することができない、司祭が語る言葉を聞くだけであったキリスト者達に、自ら御言葉を読むという道を開かれたのです。そのことを念頭に置いて、ルターの言葉をきいてください。◆ああ、私やその他すべての教師の解釈が姿を消して、各々のキリスト者が、聖書そのもの、すなわち純粋な神のことばを自分自身で受け入れることを神が望まれますように。◆神のことばがあらゆる人の言葉とどんなに測り知れないほど異なっているか、また、神のことばのいくらかでも十分に理解し、自分の言葉のすべてを用いてでもそれを明らかにすることは誰にも決してできないことを、あなたは、私のこの講話からきっと知るであろう。◆それは無限のことばであって、詩編83編で、「わたしは、神ご自身がわたしに語られるのを聞く」と言っているように、静かな霊によってとらえられ顧みられる。それはまた、このように静かに深く熟慮する霊のほかには、誰にも理解されることがない。◆註解や講義なしにこちらに来ることのできる人々には、私やその他の人々の註解はみな、まったく必要でなく、邪魔になるだけである。◆それゆえに、愛するキリスト者よ、こちらに、この中に入りなさい。そして、私とすべての教師たちの解釈を私たちの正しい建造物の足場にしよう。そうすれば、私たちは純粋な神のことばそのものを自分で理解でき、味わい、そこにとどまることができる。なぜなら、神はそこに、シオンにのみ住まれるからである。★赤子のように御言葉を乳として慕い求める姿勢はキリスト教信仰の原点です。
「信仰」と「意志の力」について
18/08/19 00:00
★宗教改革者のルターが「信仰」と「意志の力(=自由意志)」について次のように語っています。大変興味深いので紹介させていただきます。☆「信仰」は「自由意志」とはまったく別ものである。むしろ、疫病や戦争や飢饉が起ったときに、あなたの「自由意志」によって、ことを試み、引き出すようにしなさい。☆ペストの時代には、あなたは恐怖にかられて何も手につかない。飢饉になると、あなたはどこで食物を手に入れようと考えるであろう。それはあなたの「自由意志」を働かせる好機会である。☆しかし、これに対して、「信仰」は女主人であり、皇帝夫人である。「信仰」は、たとえ小さく弱くとも、死をまったく恐れずに立つ。☆聖書の中で、また弟子たちにおいて見るように、「信仰」は本当に大きな強力な事がらと向かい合っている。荒波、暴風、海、またあらゆる種類の不幸が、すべてのものを一緒に死ヘと追い立てていく。このような困窮と恐ろしい危険のただ中で、いったい誰が恐れず、青ざめないでいられようか。☆しかし、「信仰」はどんなに弱くとも城壁のように持ちこたえ、罪や死やあらゆる危険に対して、まるで小さなダビデが巨人ゴリアテに対したようにしっかりやるのである。とりわけ「強固で完全な信仰」は、そこで騎士のように立派に戦う。☆しかし、「弱い信仰」も大胆にではないが、やはり戦うのである。★このルターの言葉から明確にわかるのは、ルターの体験としては「意志の力(=自由意志)」がしり込みしてしまうような事態に対しても「信仰」は向き合う、ということです。この意味では「信仰」は「意志の力(=自由意志)」を越えるということです。
自分が生きている現場で開始できる「平和を造り出す」働き
04/08/19 00:00
