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赤子のように御言葉を乳として慕い求める

★宗教改革の時に行われた変革の中で注目すべき変革は「キリスト者が自らの母国語で聖書を読むようになること」でした。教会に行き、原本から自分で検証することができない、司祭が語る言葉を聞くだけであったキリスト者達に、自ら御言葉を読むという道を開かれたのです。そのことを念頭に置いて、ルターの言葉をきいてください。◆ああ、私やその他すべての教師の解釈が姿を消して、各々のキリスト者が、聖書そのもの、すなわち純粋な神のことばを自分自身で受け入れることを神が望まれますように。◆神のことばがあらゆる人の言葉とどんなに測り知れないほど異なっているか、また、神のことばのいくらかでも十分に理解し、自分の言葉のすべてを用いてでもそれを明らかにすることは誰にも決してできないことを、あなたは、私のこの講話からきっと知るであろう。◆それは無限のことばであって、詩編83編で、「わたしは、神ご自身がわたしに語られるのを聞く」と言っているように、静かな霊によってとらえられ顧みられる。それはまた、このように静かに深く熟慮する霊のほかには、誰にも理解されることがない。◆註解や講義なしにこちらに来ることのできる人々には、私やその他の人々の註解はみな、まったく必要でなく、邪魔になるだけである。◆それゆえに、愛するキリスト者よ、こちらに、この中に入りなさい。そして、私とすべての教師たちの解釈を私たちの正しい建造物の足場にしよう。そうすれば、私たちは純粋な神のことばそのものを自分で理解でき、味わい、そこにとどまることができる。なぜなら、神はそこに、シオンにのみ住まれるからである。★赤子のように御言葉を乳として慕い求める姿勢はキリスト教信仰の原点です。
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