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英国エリザベス女王の国葬について

★9月19日(月)にウェストミンスター寺院で執り行われた故エリザベス女王の国葬について記録しておきたいと思います。①キリスト教の葬儀は礼拝ですから、棺は縦置きでした(起き上がったら皆と共に礼拝している姿となります)。②イギリス連邦事務局長スコットランド・オブ・アスタル男爵夫人による聖書朗読箇所はここです(抜粋)。
(20)事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。(21)それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。(22)アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。(23)ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち…。(54)この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。(55)「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。(56)死のとげは罪である。罪の力は律法である。(57)しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。③リズ・トラス首相による朗読箇所はここです(抜粋)。
(01)
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。(02)わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。(03)そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。(04)わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。★復活の希望が明確です!

「聖化の歩み」と「自らの正しさ」との関係はかなり厄介です

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「聖化の歩み」と「義」との関係を誤解するキリスト者は少ないと考えます。それに対して「聖化の歩み」と「自らの正しさ」との関係は、キリスト者として厄介な課題となります。★ルターがこの問題に関して語っていると思われる文章を紹介します。◆あなたの行動が、いかに正しくきよく罪がなく、神々しいほどのものであったとしても、あなたは畏れをもって謙虚に行動し、常に神の戒めを畏れ、あなた自身にではなく、ただ神のいつくしみにのみ信頼すべきである。◆ユダス・マカベウスが大いに正当な戦いで打ち殺され、また、他にも彼らの多くが、賞賛に値するようなよい事件や行動のただなかでも殺されたのは、士師記20章にイスラエルの子たちについて書かれている通りであるが、それは、彼らが神を畏れず、自分たちが正当であることのみに頼り、神のいつくしみに信頼せず行動したからにほかならない。◆パウロがコリント人への第一の手紙第4章35節でこう言っている。「わたしは、自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではない。だから主が来られるまでは、何事についても、先走りをして裁いてはいけない。 主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、 心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう」。◆ルターの考えに全て賛成というわけではありませんが、キリスト者は、自らが「死のからだ」である事を忘れてしまうと、自らの持つ「小さな正しさ」を持ちだし「神のいつくしみ」を忘れてしまう結果となるのです。
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