牧師のページ

人間の知恵では説明できないが、「選び」は啓示されている

★マタイによる福音書の中から、次の箇所を切り出しました。
[20]それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。[21]「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。[22]しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。[23]ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。[24]しかし、あなたがたに言う。さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。
★この後に主イェスの言葉がこう続きます。
[25]そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
[26]父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。
[27]すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。
★主イェスは明確に「選び」を語っておられるのです。

キリスト者ではない人たちと協働で担う「被造世界の管理責任」について

★創世記の啓示に従えば、人間はキリスト者であるなしにかかわらず「神のかたち」に創造されています。ただ、キリスト者は罪の結果を自覚する者であり「神のかたち」も例外ではありません。しかし、この「神のかたち」こそが、キリスト者が「被造世界の管理責任」を果たす為にキリスト者ではない人たちと協働できる根拠です。
★そして、「被造世界の管理責任」と言えば、現在SDGsが思い浮かびます。
SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。SDGsは2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。目標は全部で17あり、それぞれの目標に紐づく169のターゲットがあります。その17の目標が以下です。
1.貧困をなくそう。2.飢餓をゼロに。3.すべての人に健康と福祉を。4.質の高い教育をみんなに。5.ジェンダー平等を実現しよう。6.安全な水とトイレを世界中に。7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに。8.働きがいも経済成長も。9.産業と技術革新の基盤をつくろう。10.人や国の不平等をなくそう。11.住み続けられるまちづくりを。12.つくる責任 つかう責任。13.気候変動に具体的な対策を。14.海の豊かさを守ろう。15.陸の豊かさも守ろう。16.平和と公正をすべての人に。17.パートナーシップで目標を達成しよう。
★とは言え「経済成長と環境保全は両立可能である」という前提を持つこのSDGsに対しても、その前提そのものを問う声もあります。★そこに「うめき」があります。

「霊(=キリストの霊)によってからだの働きを殺す」ことが「愛」の始まり

★パウロがローマ8章17節で語っている言葉「もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。」の中にある「キリストと…苦難をも共にしている」とは、12節、13節の言葉「兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。…霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。」を受けていると解釈しました。つまり「キリストと…苦難をも共にしている」とは「霊(=キリストの霊)によってからだの働きを殺す」ことを意味しています。★「からだの働きを殺す」というこの表現から「キリストと…苦難をも共にしている」という言葉の中にある「苦難」の持つ重さが、私たちキリスト者には理解出来るのではないでしょうか。★パウロは、第一コリント第13章で、次のように語り出しました。
[01]たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
[02]たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
[03]たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
★この言葉は霊(=キリストの霊)によってからだの働きを殺す」ことへの導入の言葉です。
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